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エリザベス女王の第三子アンドルー王子はスキャンダルの常連。有罪判決を受けた性犯罪者ジェフリー・エプスタインとの関係だけでなく、自らの疑惑をめぐる議論が続行中で、王族としての公務から退いた。が、アンドルー王子はこれまでに何度もこうした議論に対処してきた。例えば、1980年代初期のクー・スタークとの交際は大いに新聞を賑わせた。
クー・スタークって、誰?
キャスリーン・ノリス・スターク(本名)は1956年、作家でエンターテイナーのウィルバー・スタークとキャシー・ノリスの間にNYで生まれた。NYとロンドンで教育を受けると若い頃から両親と同じ道を歩み、70年代半ばに父がプロデュースした『All I Want Is You…And You…And You』(1974年)に始まり多くの映画に出演。『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年)でレイア姫役を争ったという噂もあった(2016年に、実はオファーされたと彼女が発言)しかし結局、ルーク・スカイウォーカーの友だちキャミー・マーストラップ役で出演したが、最終的にそのキャラクターはカットされた。
1981年、ロンドンのナショナル・シアターの『ヴァージニア・ウルフなんて怖くない』のプロダクションで代役を務めていた時に、アンドルー王子の21歳の誕生日を祝っていた共通の友人に王子を紹介された。「ベルグレイヴィアのチェスター・スクウェアにあった自宅の大家と友人がアンドルー王子を食事に連れて行った。でも“予備の女の子”が来れなくなってしまったから、私が彼女の代役になった」と初対面の時のことを後にスタークは書いている。
2人は意気投合し、その夜、王子は彼女を家まで車で送った。そして彼女は「翌日BPでのランチに招待する」という彼のメモを見つけた。「最初はなぜ彼は私をガソリンスタンド(BP=有名国際エネルギー企業)に連れて行くのだろうと不思議に思ったけれど、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)のことだとすぐにわかった」と彼女。
アンドルー王子との交際
スタークとアンドルー王子はすぐに交際をはじめた。彼女はバッキンガム宮殿で過ごすようになり、後にバルモラル城(スコットランドにある女王の別荘)に招かれたこともあった。エリザベス女王は若き女優だったスタークを気に入っていたと言われ、彼女はロイヤルファミリーのメンバーともうまくいっていた(チャールズ皇太子と初対面の時、彼女の頬にキスしようとした皇太子に対し、彼女は膝を曲げてお辞儀しようとして頭突きする形になってしまったというアクシデントはあったけれど)。
「まったく違う2つの世界の境が曖昧になったの。私はアンドルーに初めてのデニムジーンズを買い、彼は私が気に入っていた彼のTシャツをくれた。そこには“Don’t Panic”と書いてあった。また彼は“Here comes Trouble”(これはヤバイ)とプリントされたのも買ってくれた。私を喜ばせるつもりなのか侮辱するつもりなのかわからなかったけれど。でも、振り返ってみれば、彼は正しかった」と綴っている。
1982年のフォークランド紛争の時、アンドルー王子が820海軍航空隊のヘリコプターパイロットとして従軍していた間も2人の交際は続いた。しかし、人目につくことはほとんどなく、マーガレット王女がカリブ海のマスティーク島に持つヴィラにバケーションに行ったことで初めてメディアの注目を集めた。
「ウォリス・シンプソンとエドワード8世のカップルに匹敵するほどマスコミの注目を集めた」と後に彼女は詳細を述べている。「当時としては前例がないことだったから、至る所にパパラッチがいた。後ろからバイクに髪を引っ張られたこともあったし、みぞおちに望遠レンズがぶつかったこともあった。私たちが一緒にいるところをキャッチしようと、バイクに乗ったカメラマンたちが本当にレストランの中まで入ってきたこともあった。私は2年間、住所が出るたびに引っ越したを繰り返した」
18カ月間交際して、2人は破局。アンドルー王子は1986年にセーラ・ファーガソンと結婚したが、この2人の関係もかなりスキャンダルになった。
アダルト映画に主演したことがある?
スタークとアンドルー王子の交際の中でもっとも大きな見出しになった一つは、スタークがソフトポルノで性的シーンを演じた場面写真などが浮上し、掲載されたことだった。スタークが1920年代のイングランドで性的に目覚める若きエミリー役で主演した映画『The Awakening of Emily』(1976年)と小説『Justine』を原作にした『Cruel Passion 』(1977年)だった。
2019年、スタークは自分のことを「ポルノ女優」と呼んだバイアコム・インターナショナル(Viacom International)社を相手取り、名誉毀損訴訟で同社からかなりの額の損害賠償金を受け取った。
アンドルー王子との破局後
スタークはアンドルー王子との交際がタブロイドを賑わせたことで有名だったが、その名声がキャリアには反映されなかったと彼女は言う。
「私にオファーされる役は搾取的なものか私には不向きなものだった。監督たちは、私が出ればパブリシティになることに関心があるか、私が関わるプロジェクトで儲けようとしているかだった」と、2016年にメーガン妃宛の公開書簡で書いていた。
1993年、彼女はギャラリー・オーナーのティム・ジェフリーズと結婚したが、ほどなく離婚。1997年にウォレン・ウォーカーとの間に娘タチアナを出産した。アンドルー王子はタチアナのゴッドファーザーになっている。スタークはその後、養育費が不払いだとしてウォーカーと長期にわたる訴訟を起こしていたが、2020年、彼女に不利な判決が下った。
Translation: Mitsuko Kanno From Town & Country US
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