マダム・タッソーと若き解剖医の生涯
じつは予備知識なし、なにも知らずに、六百ページに近いこの分厚い本を読み始めた。ちょっとした冒険の気分とでもいうべきか。前半をかなり読み進んでもまだ気が付かない。最後の方でやっと、ロンドンの蠟人形館で有名な、マダム・タッソーの伝記文学だと気が付いた。最近は読み始める前に、その作品について、さまざまな情報を受け取ってしまう。それがない方が作品によっては面白い。その意味で、書評はあらかじめ読むものか、読了してから読むものか、あらためて考えてしまった。
主人公の「おちび(ザ・リットル)」、本名アンネ・マリー・グロショルツは、一七六一年、フランスの寒村に生まれる。間もなく復員軍人だった父を失い、母は下働きの職を求めてスイスのベルンに移る。そこで奉公したのが、まだ青年とも言うべき若い解剖医フィリップ・クルティウスの家だった。これが運命の出会いとなる。
クルティウスの仕事は、病院からもたらされたさまざまなヒトの器官を、蠟細工の模型にすることである。こうした模型は医師の勉強の手段になり、患者への説明の材料ともなる。当時の欧州では、この蠟模型がいわば流行し、本拠はフィレンツェにあった。ここから多くの職人が欧州各地に派遣され、技術を伝えた。フィレンツェの通称スペコラ、フィレンツェ大学比較解剖学博物館には当時からの蠟模型が保存され、いまなお展示されている。
まもなく「おちび」の母は首を吊り、「おちび」はクルティウスと二人暮らしになってしまう。クルティウスはふとした思い付きで「おちび」の顔の模型を作る。やがて病院の医長をはじめ、さまざまな人が、自分の顔模型の注文にやってくるようになる。これが成功しすぎたため、クルティウスは病院を去らざるを得なくなり、パリに移る。この背景には、現在とは違って写真術がまだなかったことを意識する必要がある。どのような角度からでも、いわば自分の顔を見ることができる。これは当時の人にとっては、たいへんな魅力だったらしい。
パリに移ったクルティウスは、仕立て屋の未亡人の家に住むことになる。この時期のパリでは、皇太子とマリー・アントワネットの婚儀があり、革命前夜でもある。クルティウスは初めは著名な犯罪者、さらには有名人の蠟模型を作り、しだいに人気を集めるようになる。その陳列場に、たまたまルイ十六世の妹エリザベートが訪れる。当時十四歳、「おちび」は十七歳だった。これを契機に「おちび」はヴェルサイユ宮殿に奉公することになる。
ここまでが本書のほぼ半分である。後半はフランス革命当時のパリで、「おちび」がどうなっていくか、波乱の物語を語る。一七九四年、クルティウスの死で、この長い物語はほぼ終結する。
クルティウスの死後「おちび」は建築家タッソーと結婚し、二人の子をもうけ、その後夫と別れ、子どものうち一人を連れてロンドンに移る。「おちび」はロンドンでも成功を収め、マダム・タッソーの蠟人形館はいまでもロンドンのベイカー街にある。私は行ったことはない。
この長い物語を、私は一気に読了してしまった。まさに著者の筆力のおかげであろう。
【書き手】
養老 孟司
1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官し、2017年11月現在東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』『形を読む』『唯脳論』『バカの壁』『養老孟司の大言論I〜III』など多数。
【書誌情報】
"有名な" - Google ニュース
July 26, 2020 at 07:00PM
https://ift.tt/3gdDMq0
ロンドンの蠟人形館で有名なマダム・タッソーと若き解剖医の生涯とは - ニコニコニュース
"有名な" - Google ニュース
https://ift.tt/2TUauVh
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update
No comments:
Post a Comment