値上げばかりの世の中だ。
本紙の「値上げウオッチ」欄を注視している人は多いだろう。アイスとかラーメンとか、身近な、有名な銘柄の商品が値上げされると知るたび、僕はなぜか軽く笑ってしまう。嬉(うれ)しいわけない、むしろ困るし、嫌なことのはずだが。
毎日のように次々値上げされる、多すぎる頻度がちょっと「面白」くみえてしまうのか。値上げされる品が有名で「芸能人」みたいで、ハーゲンダッツ、おまえも辛抱できんかったか! などと商品に対し語り掛けたくなる気持ちが生じるのもある。ステルス値上げというセコい工夫にも、怒りではない、妙な笑いが漏れる。あとコーナー名、値上げ「ウオッチ」の語感がなんかイキイキしてるので、つい笑っちゃうのだった。
値上げが続くということには現実ではない、往年の漫画っぽさもある。値上げや薄給で「今月も赤字だわ」と、かつて漫画の中で家計簿を前にボヤいていた(主人公の)お母さんたちを思い出す。大抵、主人公がおこづかいを値上げしてもらおうと交渉に出向く場面で、そのボヤきはみられた。
おこづかいアップなど到底無理と一言で伝わり、現実の金銭に頼らない、その漫画ならではの願望達成を目指すための導入として「赤字だわ」のボヤきは定番になっていた。
だから、漫画の中でボヤいていた家庭は皆、続く値上げのせいで破産することはなかった。ボヤきながら、なんだかんだ続く。
そりゃそうだが、現状を危ぶみながら世界が終わらないということに、漫画の本質をみる(現実には値上げが続いた先には大勢が破産というシビアな将来像がある)。
漫画は現実をデフォルメするものだが、それは空を飛んだりといった能力や、美男美女の造作、そういう派手な誇張だけを指すのではない。「ボヤくけど、滅ばずに続く」という地味な元気さも実は漫画ならではの、得難い表現だったのだ。
『厄(やく)いよ!アラクシュミ』(ツナミノユウ作)の主人公は厄病神(やくびょうがみ)。人の不幸が生きる糧の厄病神が、激太りしてしまう。
理由は今の現実世界が(それこそ値上げも含めて)不幸すぎるせいだった。人の不幸で肥えすぎてメタボになった厄病神が、健康になるためになんとか下界の人々を幸せにする(厄病神なのに!)というコメディーだ。筋が進むごと、人々の怒りが強すぎて高血圧に悩む怒りの神、人々が自己肯定感を失ったことで陰鬱(いんうつ)に塞(ふさ)ぎこむ芸術神など、癖のある神々が一つ屋根の下に暮らし始める。
自分の能力を正しく発揮できないジレンマがこの漫画のアイデアなわけだが、そんなの関係なく、生活習慣病に悩む神たちが気を使いあいながら暮らしているだけで面白い。
神なのに皆メンタルが弱い。警察官を前にすると必ず挙動不審になったり、皆が使うカタカナ語を自分だけ知らないと不安になったり、とても小市民的。ビニール傘を盗まれただけで悶(もだ)え苦しむ彼女らは「値上げウオッチ」も熟読し、本気で嗚咽(おえつ)を漏らしてそう。今の時代に出会えて本当によかった!
さて、この連載は今日でおしまい。四年近くのご愛読に感謝。今後も漫画を読み、心を漫画のように保って生きていきたいです。 (ぶるぼん・こばやし=コラムニスト) =おわり
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