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Tuesday, November 1, 2022

三重からアジアに風を吹かせたい 移住者が食と文化で活性化に貢献 - 日経BP

積極的な移住政策を進める三重県いなべ市。いま、いなべ市には県外から続々と移住者が集まり、まちの活性化に貢献している。その火付け役となった企業「松風(まつかぜ)カンパニー」は、食と文化がハイブリッドになったコンパクトな循環型社会をめざして活動を続けている。特にゆかりもなかった土地に移り住み、まちを盛り上げる同社の若者たちの姿を追った。

三重県最北部のまちに移住者が続々と

 東海と近畿の間を南北に貫く三重県。人口は伊勢湾沿いの東海側に集中しており、北から南へ順に、名古屋市のベッドタウンである桑名市、工業都市の四日市市、モータースポーツが盛んな鈴鹿市、県都の津市、松阪牛で有名な松阪市、伊勢神宮のある伊勢市と続く。その南には真珠の里である志摩市があり、伊勢志摩地区は全国的にも一大観光エリアとして名高い。なお、志摩市は米国からの海底ケーブル陸揚局を有する西日本方面の重要な回線拠点でもある。

 こう見てくると、桑名市と四日市市の北部に位置する三重県最北部のいなべ市はいささか知名度が低い。2003年の平成の大合併により、員弁郡(いなべぐん)の員弁町、大安町(だいあんちょう)、北勢町(ほくせいちょう)、藤原町の4町が合併して誕生したまちだ。旧藤原町には太平洋セメントの藤原工場があり、山肌が削られた鉱山や巨大なセメント工場、三岐(さんぎ)鉄道によるセメント輸送の風景は独特の雰囲気を醸し出している。

旧北勢町を流れる員弁(いなべ)川。正面の山には太平洋セメントの藤原工場があり、運搬用に貨物鉄道が走っている(写真:山出高士)

旧北勢町(ほくせいちょう)を流れる員弁(いなべ)川。正面の山には太平洋セメントの藤原工場があり、運搬用に貨物鉄道が走っている(写真:山出高士)

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 いなべ市は里山の面影を残す一方で、岐阜県、滋賀県とも接し、古くから中部、近畿をつなぐ交通の要所として栄えてきた。さらに名古屋市中心部から高速で1時間足らず、四日市市からは車で30分、桑名市とは三岐鉄道でも直通など交通の便がいい。こうした“ほどよい田舎”が魅力となり、近年、移住者が急増している。市でも以前から移住促進政策を進め、空き家バンクの活用、ファミリー層に向けた子育て支援を実施。積極的に地域おこし協力隊を迎えるなど、まちの魅力を外部に発信し続けてきたことが功を奏した。

旧北勢町の中心部、阿下喜(あげき)地区のメインストリート。この界隈が移住者で盛り上がっている(写真:山出高士)

旧北勢町の中心部、阿下喜(あげき)地区のメインストリート。この界隈が移住者で盛り上がっている(写真:山出高士)

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 加えて2019年の新市庁舎開設にあわせ、市庁舎に隣接した場所に商業施設の「にぎわいの森」がオープン。カフェ、ベーカリー、パティスリー、いなべ市のセレクトショップなどが立ち並び、地産地消のコンセプトを掲げた同施設を、市は「まちづくり、ひとづくりの拠点」として位置付けている。運営には一般社団法人の「グリーンクリエイティブいなべ」が携わり、市と一体となって、いなべ市の振興に一役買う。

新しい風を吹かせた名古屋からの移住者2人

 いなべ市で有機農業の「八風(はっぷう)農園」を営む寺園 風(てらぞの・ふう)さんも移住者の一人だ。名古屋市で生まれ育った都会っ子にもかかわらず、小さい頃から自然が大好き。テレビ番組『ザ!鉄腕! DASH!! 』の特集コーナー『DASH村』に憧れ、「すべてを最後まで使い尽くすような昔の暮らし」を実践したいと考えるようになった。

 その思いが高じて農業高校に進学。卒業後は2年間、アジアを旅して回り、間近で各国の食や農業のあり方を見てきた経験を持つ。「『風』という名前は、父が、“アジアで風を吹かせてほしい”との思いから名付けました。まさにそれを実践したんです」と笑う。帰国後は名古屋市の飲食店で働きながら農家に弟子入りして農業の基礎を学び、2013年の25歳のときにいなべ市に腰を落ち着けた。

よく育ったゴーヤを手に取る寺園さん。真っ黒に日焼けした肌は農家の勲章(写真:山出高士)

よく育ったゴーヤを手に取る寺園さん。真っ黒に日焼けした肌は農家の勲章(写真:山出高士)

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 「農地を探しているときに、地図からいなべ市の『八風街道』の文字が飛び込んできて……。自分の名前も入っているし、ここがいいんじゃないかと。僕が住んでいるのは、旧藤原町の下野尻(しものじり)地区。同じ地区には、Uターンして有機農業をやっている『ゆうき農園』の友喜くん(森友喜<もり・ゆうき>さん)がいて、移住してきたその日に意気投合しました。『家はとりあえず居候すればいい。機械も貸すし、畑も何とかなるよ』と言ってくれて。彼のおかげで順調なスタートを切ることができました」(寺園さん)

 寺園さんは現在、5ヘクタールの畑、3反(約3000平方メートル)の田んぼを所有。畑では季節に応じた旬の野菜、古代小麦、ライ麦などを栽培し、米も無農薬でつくっている。うまみが凝縮された野菜類は当初から評判となり、三重県内の直売所や名古屋市の飲食店、マルシェなどで販売した。そうした流れのなかで、今回のもう一人の主役である松本耕太(まつもと・こうた)さんと出会う。名前を見るとこちらが畑職人のようだが、土いじりはもっぱら寺園さんの専門だ。

 「僕は最初アパレル業界に入り、その後、サービス業に携わってきました。アパレルの後に名古屋市で飲食店の店長を任されていたとき、野菜を販売するイベントを企画して、そこで寺園を知ったんです。調べてみると同い年で、それなのに無農薬農家をやっていることにがぜん興味が湧いてコンタクトを取りました。そこから仕入れ先と農家の関係を2年ぐらい続けたある日、『八風農園の野菜を使った食堂をやりたいと思ってるんだけどやらない?』といきなり言われて。それが『上木(あげき)食堂』の始まりです」(松本さん)

 上木食堂の立ち上げには、寺園さんの「自分が育てた野菜や米を、地元でおいしく食べてもらいたい」との思いが根底にある。

松本さんは、寺園さんと対を成すような都会派の風貌。松風カンパニーの事業面を取り仕切る参謀役だ(写真:山出高士)

松本さんは、寺園さんと対を成すような都会派の風貌。松風カンパニーの事業面を取り仕切る参謀役だ(写真:山出高士)

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