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Sunday, October 2, 2022

「このはしわたるべからず」一休さんのあの有名なとんちで、一首!?|僕の不幸を短歌にしてみました(エッセイつき)|岡本雄矢 - 幻冬舎plus

歌人芸人・岡本雄矢さんのフリースタイルな短歌&エッセイ集全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割が評判上々。たったの31文字で、世界はこんなにも情けなく、こんなにもドラマチックに!今日の #不幸短歌 はとんちんかんちん一休さん♬です。

*   *   *

新右衛門さん幅跳びでいけませんかね このはし渡るべからずなので

 

一休さんの有名な話に「このはし、わたるべからず」という話があります。

ある橋の前に「このはし、わたるべからず」という立札があるにも関わらず、一休さんは、平然とその橋を渡ります。

一休さんが言うには「端を渡らず真ん中を歩いたから、立札には違反していない」というのです。

見事なとんちだと思います。

(写真:iStock.com/LiliGraphie)

ただ、もしその橋の前に「この橋、わたるべからず」と橋の文字が漢字で書いてあった場合、一休さんはどうしたのでしょう?

橋と書いてあっては橋自体が渡れないので、端を渡ることはできません。

であれば、幅跳びで渡ろうとしたでしょうか?

川を跳躍で飛び越えようとしたでしょうか?

しかし、その川幅が跳躍で飛び越えれるような長さとは限りません。

では、いかだを使って渡ろうとしたでしょうか?

いかだなら、簡単に橋を渡れます。

しかし、うまい具合にいかだがあるとは限りません。

では、パラグライダーはどうでしょう?

ダメです。

その場に、うまい具合にパラグライダーがあるとは限りませんし、そもそも一休さんの時代にパラグライダーはありません。

では、泳ぐのはどうでしょう?

物もいりませんし、時代的にも問題ありません。

ダメです。

なんのとんちもきいていません。

とんちをきかすのが一休さんの真髄なのに、肉体を駆使して川を渡っても、なんの意味もありません。

と、そこまで考えたところで、ふと我に返ります。

僕は一体なにを考えてるのだろう?

僕は一休さんではありませんし、この先、僕の目の前に「この橋、わたるべからず」という立札が現れることはおそらくないでしょう。

なので、こんなことを考えても、なんの意味もありません。

それよりも、明日締切のものを書かなければいけないのです。

この締切を切り抜けれる、いいとんちありませんかね?

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