歌人芸人・岡本雄矢さんのフリースタイルな短歌&エッセイ集『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』が評判上々。たったの31文字で、世界はこんなにも情けなく、こんなにもドラマチックに!今日の #不幸短歌 はとんちんかんちん一休さん♬です。
* * *
新右衛門さん幅跳びでいけませんかね このはし渡るべからずなので
一休さんの有名な話に「このはし、わたるべからず」という話があります。
ある橋の前に「このはし、わたるべからず」という立札があるにも関わらず、一休さんは、平然とその橋を渡ります。
一休さんが言うには「端を渡らず真ん中を歩いたから、立札には違反していない」というのです。
見事なとんちだと思います。
ただ、もしその橋の前に「この橋、わたるべからず」と橋の文字が漢字で書いてあった場合、一休さんはどうしたのでしょう?
橋と書いてあっては橋自体が渡れないので、端を渡ることはできません。
であれば、幅跳びで渡ろうとしたでしょうか?
川を跳躍で飛び越えようとしたでしょうか?
しかし、その川幅が跳躍で飛び越えれるような長さとは限りません。
では、いかだを使って渡ろうとしたでしょうか?
いかだなら、簡単に橋を渡れます。
しかし、うまい具合にいかだがあるとは限りません。
では、パラグライダーはどうでしょう?
ダメです。
その場に、うまい具合にパラグライダーがあるとは限りませんし、そもそも一休さんの時代にパラグライダーはありません。
では、泳ぐのはどうでしょう?
物もいりませんし、時代的にも問題ありません。
ダメです。
なんのとんちもきいていません。
とんちをきかすのが一休さんの真髄なのに、肉体を駆使して川を渡っても、なんの意味もありません。
と、そこまで考えたところで、ふと我に返ります。
僕は一体なにを考えてるのだろう?
僕は一休さんではありませんし、この先、僕の目の前に「この橋、わたるべからず」という立札が現れることはおそらくないでしょう。
なので、こんなことを考えても、なんの意味もありません。
それよりも、明日締切のものを書かなければいけないのです。
この締切を切り抜けれる、いいとんちありませんかね?
からの記事と詳細 ( 「このはしわたるべからず」一休さんのあの有名なとんちで、一首!?|僕の不幸を短歌にしてみました(エッセイつき)|岡本雄矢 - 幻冬舎plus )
https://ift.tt/ewEQUyk
No comments:
Post a Comment