一挙に4車種を発表し、これまでの“噂”を吹き飛ばした『クラウン』。お披露目のセレモニーでも取り上げられた「“いつかはクラウンに”と、多くのかたがおっしゃいます。」有名なこのコピーは、バブル前夜とも言うべき1983年、7代目『クラウン』が誕生した際に使われたキャッチフレーズだった。
「ハードトップ」と「スーパーホワイト」
トヨタ・クラウン(7代目)この世代のイメージリーダーというと、やはり4ドアピラードハードトップ。ハードトップの4ドア版自体は5代目から登場し、6代目まで、2ドアと4ドアの両ボディが設定された。それがこの7代目からは4ドアの1タイプ(ほかにセダンも設定)となった。
この7代目のスタイリング上の特徴は“グラッシーな輝きを放つクリスタルピラー(カタログの記述より)”で、これは同世代の『マークII』でも生かされた。またフロントマスクのデザインも『クラウン』のイメージを象徴するもの。またボディ色では最初の“スーパーホワイト”は、このモデルから設定が始まった。ドアミラーもこの7代目から装着されるようになった。
トヨタ・クラウン(7代目)エンジンは多彩なラインアップが敷かれ、6代目のターボに続き、1985年には、この7代目で日本初のスーパーチャージャーを搭載。また4輪ESC(ABS)の搭載も国内初のことだった。
この時代に考えられる最上級レベルの装備を盛り込んだ
トヨタ・クラウン(7代目)シャシーは、量産FR車で世界唯一だったペリメーター型フレームに前:ダブルウイッシュボーン、後:セミトレーリングアーム式の4輪独立懸架の組み合わせ。後輪のショックアブソーバーの空気圧を自動調整する仕組みのオートレベライザーも設定された。
装備面では、メモリー付きチルト&テレスコピックステアリングの採用が世界初。そのほかマルチアジャスタブルマイコンパワーシート、リヤラウンジパワーシート、フルフラットシートや、セダンの後席にはバイブレーター、ヒーターなどの設定もあった。
トヨタ・クラウン(7代目)何故かそういう呼び名だった電動式ムーンルーフ、フルコン/セミコン可変コンシールドワイパーなど、この時代に考えられる最上級レベルの装備、機能も豊富に盛り込まれている。
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