「アナログ人間」は、「デジタル人間」の進化形
昨年10月13日の記事「東証取引停止は氷山の一角、デジタル依存社会はここまで危険だ」3ページ目で、「アナログはデジタルの進化形だ」と述べた。 【写真】コロナ危機で、じつは日本が「世界で一人勝ち」する時代がきそうなワケ 読者にとっては意外かもしれないが、この世にはまずデジタルがあって、その後生命の進化とともに「アナログ」が誕生したのである。 少し話が大きくなるが、138億年前にいわゆるビッグバンで宇宙が誕生した直後、この世の物質には水素とヘリウムしか無かった。その後、色々な物質が誕生したが、生命も含めた物質の基本はこのような元素である。 そして、元素の動きは「デジタル」である。あくまで物理法則に従った動きしかしない。 しかし、その物質が多数集まって構成される「生命」の動きはデジタルではなくアナログだ。 なぜかといえば、感覚器官を通じて入ってくる膨大な「情報」をすべてデジタル処理していたらすぐにパンクするからである。したがって、情報を1つの塊としてアナログ処理するのが合理的であり、生物はそのように進化したのだ。 その究極が人類であるから、我々は「原始的なデジタルから高度なアナログ」へと進化することによって繁栄しているといえる。 確かにコンピュータやネットによる「近年のデジタル化」で我々は大きな恩恵を受けたが、それは蒸気機関が人間を重労働から解放してくれたのと同じである。 退屈な数字やデータを扱う「苦役」から人間を解放したのが「デジタル」だ。しかし、それは人間がこれまで行っていた「原始的作業」を効率化したに過ぎない。 人間の文明が進むべき方向はあくまで「アナログ的進化」であり、「デジタル人間」は、コンピュータがせっかく開放しつつある「苦役」にしがみつくしかない。これからの社会の進化を享受したいのであれば「究極のアナログ人間」を目指すべきなのである。 そして、そのキーワードは「人間力」と「日本型経営」である。
エラーが削除される恐ろしさ……
まず、デジタルにあいまいさは無い。「ゼロ」または「1」のどちらかであり、「じゃあ、仲良く間をとって半分ずつにしよう」などというアナログ処理はあり得ない。 だから、コンピュータに「エラーが起こる確率は極めて低く」、実用上「間違いが無いもの」として扱われる。もちろん、厳密に言えば、宇宙線などの影響で回路がうまく作動しない場合もあるのだが、その場合は、大雑把に言って「3つのうち2つが同じであればその同じ答えを採用する」という手法で「是正」する。 この「デジタルは常に正しい」という一種の信仰が大変危険である。 正しく無ければ間違っているので、「削除・廃棄」されることになる。少々極端な例えだが、私には「カトリック教会が異教徒(異端)を『エラー』として拷問・火あぶり・八つ裂きで『削除』してきた歴史」が重なって見える。 1月19日の記事「デジタル全体主義の足音が聞こえてくる」で述べたように、2020年の米国大統領選挙をきっかけに、ビッグテックの「魔女狩り」が激しさを増している。 彼らはまさに、「デジタル人間」の集団であり、「エラーは削除されるべき」という思考回路が組み込まれている。 だから、「明確な根拠が無い」にもかかわらず、記事や動画を躊躇なく削除できるのだ。彼らは「自分たちこそ神の代理人」であり、「神のご意思に反するものは『削除』すべし」というまるで、2000万人(当時の世界人口から考えればとてつもない数)を虐殺したとされる「十字軍」を気取っている可能性もある。 そして、デジタル産業の労働環境は、チャップリンの「モダンタイムス」で揶揄された工場労働の比ではない。 結局、「正しいものを追求し、エラーを排除する」のは、全体主義の優生思想と極めて結びつきやすい。
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確かに
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