「なんかさあ、なんにも変わんないよね。」
台所で皿を洗っていたら、食卓で新聞を読みながら、アイちゃんが沈んだ声を出した。私は手を止めず、「そうだね」とかなんとか、適当に答える。
「なんのこと言ってるか、わかってんの?」と、アイちゃんが呆れて笑う。
ウイルスのせいで、マスクなしでは人と集うのが難しくなり、パーティー料理のケータリングをする会社に登録していた私も、見事に仕事をなくしてしまった。生活は激変だ。でも、こういうときに公的支援が機能しないのはいつもの通りで、そういう意味ではなにも変わらない。待っていても仕事の依頼はなく、似たような仕事を探そうにも、50を過ぎた年齢では、なかなか雇ってもらえず、貯金を切り崩して、申請できる給付金を調べるだけの日々が続いている。住む家だけは、10年前、親の遺産で1DKの中古マンションを買ってあったので、いきなり路上に放り出されることはない。とはいえ、少ない貯金がじりじり減っていくだけなのは不安すぎる、そうアイちゃんにぼやいたら、「じゃあ、食事一緒にする?」と誘ってくれた。それで、言葉に甘えて、仕事のない日には食事をしに来ている。なんのお礼もできないので、せめて皿は洗って帰る。
アイちゃんだって、決して楽ではないはずなのだ。ウェブデザインの下請け仕事は、一時的に依頼が減っただけで、比較的すぐに持ち直してきたらしいけど、元々大した収入があるわけじゃない。お母さんもまだお元気だし、娘さんもとっくに働いているからなんとかなっているだけで、お母さんの介護でも必要になったら、どうなるかわからない。
「私たち、未だにふたりでなにかを待ってる。」
そう笑い返すと、アイちゃんはちょっと考えて「確かに変わんない。」と頷いた。
アイちゃんとは、小学1年生からのつきあいだ。20代、30代の頃は結婚だ、離婚だと忙しくしていてなかなか会えなかったけど、42のとき母が死んで、その葬儀にアイちゃんがお母さんと一緒に来てくれて以来、またちょくちょく会うようになった。私の家も、アイちゃんの家も、母子家庭で、学童保育でも一緒だった。親同士の仲が良かったので、学童保育で預かってもらえる年齢を過ぎると、学校が終わった後、どちらかの家で一緒に親の帰りを待つよう言われていた。
あれからずっとこの街で暮らしてきたけど、あの頃のものはもうなにも残っていない。
カルピスの幟がいつも逆さまになっているので、「スピルカ」と呼ばれていた駄菓子屋も、ときどき露出狂が座っていた公園のベンチも、アイちゃんが住んでいた家も、私が住んでいたアパートも。
いつだったか、アイちゃんがお父さんのお墓に連れて行ってくれたことがある。
夏の暑い日だった。そこは木がうっそうとして薄暗く、忘れ去られた秘密基地みたいだった。墓石に近づいてみると、酷い臭いがする。
「お父さんの仲間が酒をかけていくの。」と忌々しげにアイちゃんが言った。
あの墓地のあたりも、再開発されて、分譲マンションが建てられている。もう酒が饐えた臭いはどこからも漂ってこない。
洗い物を終え、「街はこんなにきれいになっちゃったのにね。」と、ベランダの方に目を向ける。
なにもかもが変わってしまった。それなのに、なにも変わっていない。
食卓に戻ると、アイちゃんがお茶を入れてくれた。台所を背にした席にアイちゃんが座り、その正面に私が座って、熱いお茶を啜る。アイちゃんが読んでいた新聞に目をやる。それに気が付いて、独り言のように、アイちゃんがつぶやく。
「また公園のトイレで女の子が子ども産み落とした。」
「ああ、テレビでもやってた。ばれたら就活できなくなるって言ってたらしいね。」
アイちゃんは草木も枯らしてしまいそうなため息をついて、「就活しなくちゃって、それしか考えられなくなっちゃう感じ、めちゃくちゃよくわかるよ。」と言った。
私たちが高校生のとき、アイちゃんは妊娠した。
誰もそのことに気が付かなかった。私も気が付かなかった。妊娠させた相手が誰だったのか、私も聞いていない。
6カ月を過ぎて、胎動を感じるようになっても、アイちゃんは妊娠しているはずがないと自分に言い聞かせ続けていた。ちょうど2月で、受験がはじまっていたから、妊娠のことより、受験できなくなることの方が心配だった。
それでも、奥底では、もしかしたらという恐怖が瞬いていたに違いない。
私は推薦入試で早々に受験を終え、毎日ひまで家でごろごろしていた。電話が鳴り、出ると、アイちゃんだった。
「スピルカ」の向かいの神社で、私はアイちゃんを待った。アイちゃんは大きめのダウンジャケットを着て、ぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋めるようにして歩いてきた。
「久しぶりー。」と、能天気に挨拶すると、アイちゃんは「ごめん、突然。」と、拝殿の石段に腰を下ろした。その目がうつろでなにも見ていないようなので、受験で失敗でもしたのかと、「昨日だったよね、試験、どうだった?」と聞いてみる。でも、うんとか、ああとか、曖昧にうなずくだけでアイちゃんはなにもしゃべらない。
黄色みを増した日差しが建物に遮られて、あたりが薄闇に沈み出した。足元から寒さが上がってくる。
もう帰ろうかと思ったとき、アイちゃんが口を開いた。
「妊娠してるかもしれない。」
言葉の意味が脳に届くのに時間がかかり、ぽかんとしてしまう。
「タカちゃんのお母さん看護婦さんでしょ。さりげなく、いくらくらいお金かかるのか、聞いてもらえないかな。」
アイちゃんが私を見ている。
「え、いくらくらいって、なにが。」と、すっかり動揺して聞き返した。
アイちゃんがマフラーに顔を半分沈めて、立ち上がり、「うそ。なんでもない。」と言いながら、おしりについた埃をはたく。
「受験で太ったー。」と笑うアイちゃんの身体から思わず目をそらした。
それから数日後の夜、アイちゃんのお母さんから電話があって、母に代わると、しばらく声を潜めて話した後、母は出かけて行き、夜遅くまで帰ってこなかった。なにがあったのかは話してくれなかったけど、たぶん、妊娠がばれたんだと思った。
正直言ってほっとした。しばらくして会ったとき、「私が言ったんじゃないからね。」と念を押したら、アイちゃんは苦笑いして、「わかってる。」と私の肩を叩いた。
それから、アイちゃんは卒業まで高校をお休みし、卒業後、子どもを産んだ。もう中絶できる期間は過ぎていたんだと、あとで本人から聞いた。合格していた大学はとりあえず1年休学し、その後、結局両立できずに退学した。せめて高校の卒業式だけでも出たかったな、とアイちゃんはときどき言う。なんにも知らなかったと、自嘲的に笑いながら。
「この1年で、こういうニュース3回か4回見たよ。あれから30年以上経つのに、なんでこんなに変わらないんだろう。」
新聞に掲載された女の子の名前を指でさすりながら、アイちゃんは声を震わせる。
「こんなふうに名前晒されて、罰せられて、この子はこの先、自分を大事にしようって思えるかな。この子には誰かが、必要な情報や知識を与えてあげなくちゃいけなかった。それが、この子を大事にすることだった。出産で死ぬ人だっているんだよ。誰かこの子に、あなただけでも生きていてくれてよかったって言ってくれてんのかな。」
私はなにも答えられない。小さい頃、アイちゃんに連れられて行ったお父さんのお墓を思い出す。憤慨しながら、水色のポリバケツに、茶色に変色したたばこの吸い殻や、カップ酒の空き瓶を放り込んでいったアイちゃんの小さい背中。
私たちはいつまで待ち続ければいいんだろう。
酒の饐えた臭いが、どこからか漂って来たような気がした。
石原燃<いしはら・ねん> 1972年東京都生まれ。武蔵野美術大卒業後、2009年から劇作家として活動。10年に「フォルモサ!」で劇団大阪創立40周年の戯曲賞の大賞。13年に「父を葬る」でテアトロ新人戯曲賞佳作。初の小説『赤い砂を蹴る』(文芸春秋)が第163回芥川賞候補になる。東京都在住。
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からの記事と詳細 ( <月刊・掌編小説>スピルカと墓 石原燃 作 - 東京新聞 )
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確かに