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2024.06.10
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
「言葉」って何だろう?
私たちの日々の経験のなかで「言葉」はどのような役割を果たしているであろうか。本講ではまず経験と言葉との関わりについて述べ、それを踏まえて、そもそも「言葉とは何か」ということについても考えてみたい。
私たちは自分が見たり聞いたりしたもの、あるいは感じたりしたものを言葉で表現しなくても、しっかりとその内容をつかんでいると思っている。しかしもし言葉で言い表さなければ、それらはあいまいなままにとどまり、自分でも何を見たのか、何を感じたのか、はっきりとつかむことができないのではないだろうか。たとえば夕日に染まるあかね色の空を見て、その美しさに引き込まれたというような経験をされた人も多いのではないかと思う。そのとき、もしそれを夕日として、あるいは空として、その色をあかね色として認識しなければ、そこにはただ漠然とした印象だけがあるのではないだろうか。そしてその漠然とした印象はすぐに流れ去り、忘れ去られていくように思われる。
見たり聞いたりしたものに名前を付け、言葉で言い表すことで、私たちははじめて私たちが経験したものをしっかりとつかむことができる。そしてそれをあとからふり返ったり、他の人に伝えたりすることができる。私たちの経験のなかで言葉が果たしている役割は大きい。
しかし逆に、卓上に飾られた一輪の赤いバラを見て、「赤くて美しい」と言ったとき、それによって私たちは自分が見たり、感じたことをすべて言い表すことができるであろうか。赤といってもさまざまな色合いがあるが、このバラの独特の赤色をこの「赤い」ということばで表現できるだろうか。あるいは「美しい」ということばで、他の花にないこのバラ特有の美しさが表現できるだろうか。
言葉はまちがいなく私たちの経験と密接に結びついている。しかし経験とそれを言葉で言い表したものとは同じではない。むしろそのあいだには距離があるようにも見える。両者がどう関わっているのかは、哲学にとっても大きな問題である。日本の哲学者はその問題についてどのように考えてきたのであろうか。その点をまず以下で見てみることにしたい。
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