登山はジャッジのいないスポーツである。申請が必要なヒマラヤやデナリなどは、登山の成否が現地に残る。日本国内や欧州アルプスなどは、山岳雑誌、山岳部部報や山岳会会報などが記録を知る手がかりとなる。いずれも自己申告制。疑わしい記録も紛れる。登山記録は、時にアウトかセーフかすらはっきりしない。
ところで未発表の記録は無視されるのか。そんなことはない。未発表でも価値ある記録は、噂が少しずつ広まる。目撃者も現われる。未確認情報を誰かがあらゆる文献や資料と照合、信憑性も吟味して活字に残す。そうした埋もれた登山記録発掘のスペシャリストが、遠藤甲太である。
彼が記録をセレクトする基準として、話題性よりも困難性や独創性を重視する。有名なわりに登れない登山家は多い。遠藤は『目で見る日本登山史』(山と溪谷社)の登山史年表の編纂を行なっており、その際に発掘したネタ――知られざる登山記録、知られざる登山家、山の世界の意外な話――を『登山史の森へ』にまとめた(平凡社、2002年)。そこに、クライマーにおける飽くなき自己追求と滅びの美学をつづった自身のエッセイ「山――陶酔と失墜」を加えて文庫化したのが本書だ。
長谷川恒男がアルプス三大北壁に成功して一躍有名になったあとに挑んだヒマラヤ連敗の分析などは、辛辣な意見だが言い得て妙だ。長谷川恒男やラインホルト・メスナーら著名な登山家も本書には登場するけれど、多くは陰の実力者たちで、なじみの薄い話。
たとえば、45年に満たない生涯のうち5000日ほどを山行に費やした伝説のソロクライマーの記録。仮に15歳から始めたとして、年間山行日数150日以上を30年間続けたことになる。日本国内各地の岩登りや冬季の長期縦走。アコンカグア、パタゴニア、ヨセミテ、アルプス、ヒマラヤなど数々の登攀。そして放浪の旅。いずれもプロとしてではなく趣味として。はたして資金はどこから?
ネタは登攀にとどまらず広範囲に及ぶ。よく、登山はある程度の経済基盤が必要だといわれる。ところが、雑誌『山と溪谷』が出たのは経済大恐慌の最中だし、『岳人』は敗戦直後。社会が行き詰まっているからこそ、山に癒やしや希望を求めるのだろうか。
ほかにも、冬の谷川岳一ノ倉沢を犬が登ってしまったとか、「えっ、マジ!?」がちりばめられている。
さて、登山記録発掘はあくまでもアナログな作業。こんなことを言ってはおこがましいけれど、スペシャリストの遠藤甲太とはいえ見落としはある。いまだ人知れずに眠っている記録はどこかにある。もしかしたら本人にとって大切な山の記憶って、言葉にした途端に色褪せてしまうものなのかもしれない。
登山史の森へ
著 | 遠藤甲太 |
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発行 | 山と溪谷社 |
価格 | 1,650円(税込) |
評者
田中幹也(たなか・かんや)
1965年生まれ。国内外の岩壁を200ルート登攀。厳冬カナダに20年間通い、約2万㎞を踏破。第18回植村直己冒険賞受賞。共編著に『目で見る日本登山史』(山と溪谷社)がある。
(山と溪谷2023年11月号より転載)
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