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Saturday, April 30, 2022

覚えてますか? 宣教師ザビエルさん。実は神戸で見られるんです | 深デジ - 神戸新聞NEXT

「宣教師」と言えば、この方を思い浮かべるのではないでしょうか。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルです。上の写真を見て懐かしがった方も多いはずです。教科書に載っていた肖像画が多くの子どもたちの記憶に刻まれています。この絵は長らく神戸の博物館に保管されてきました。なぜ神戸にあるのか。その背景を紹介します。

最初に見つかったのは神戸ではなく、大阪でした。

大阪の旧家で守り伝えられ

発見100年 ザビエル像公開

日本製ほかに現存例なし

 16世紀半ば、日本にキリスト教を伝えた宣教師の肖像画で、教科書でも有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」(重要文化財)の公開が3日、所蔵する神戸市立博物館(同市中央区)で始まった。今年は本作品が1920(大正9)年秋、現在の大阪府茨木市の旧家で発見されてからちょうど100年に当たる。

 ザビエルはイエズス会の創設会員。1549年に来日後2年余り、九州、近畿など各地で伝道した。「アジアで布教し、日本だけでなく、世界的にも極めて有名」と塚原晃・同館学芸員は説明する。

 肖像画は縦61センチ、横48.7センチ。ザビエルが十字架のキリストを見上げ、胸の前で手を交差させて祈る姿を描く。燃える心臓を手にし、神の愛に圧倒されて叫んだ「主よ、十分です」との言葉がラテン語で記してある。西洋画の技法を学んだ日本人絵師が手掛け、江戸初期に制作された礼拝用の聖画と推測されている。

 当時のキリスト教の聖画は、幕府の禁教によって大半が没収、破壊されたが、本作品は「隠れキリシタンの里」として知られる茨木・千提寺(せんだいじ)の集落の民家で奇跡的に守り伝えられた。発見後、昭和前期に、神戸の南蛮美術コレクター池長孟(はじめ)が購入し、戦後、神戸市に譲り渡した。

 塚原学芸員は「ザビエルの日本製の肖像画はほかに現存例がなく、貴重。発見100年の機会、実物を間近で見てもらえれば」。親子で訪れた男性は「歴史の教科書に載っていたザビエル像の顔に落書きしたのを覚えている」と懐かしんだ。

(2020年11月4日付朝刊より)

2020年が、ちょうど発見から100年の節目でした。

神戸市役所の近く、旧居留地と呼ばれるエリアにある神戸市立博物館に収蔵されています。


「聖フランシスコ・ザビエル像」を収蔵する神戸市立博物館=神戸市中央区


あれほど有名な絵なのに、だれが描いたか分かっていないんですね。

記事にある通り、教科書の絵がいたずらっ子の標的になりました。

大阪から神戸へ。そこには熱心なコレクターの存在がありました。発見の経緯を追う連載で詳しく説明されています。

聖画をめぐる物語「ザビエル像」発見100年(2)

コレクター・池長孟

南蛮美術の収集、生涯情熱 

 300年もの間、大阪・茨木の山里で、信者が決死の覚悟で守った「聖フランシスコ・ザビエル像」。教科書で誰もが知る肖像画がなぜ神戸市立博物館にあるのか。「南蛮堂」と号し、南蛮美術収集に没頭した池長孟(はじめ)(1891~1955年)が神戸に暮らしていたからにほかならない。

 南蛮美術は、桃山時代から江戸初期に、西欧の影響を受け作られた異国趣味の美術品。資産家で、植物学者牧野富太郎を支援したことでも知られる池長は、その魅力に取りつかれ、昭和初期から、狩野内膳(ないぜん)筆「南蛮屛風(びょうぶ)」(重要文化財)や「泰西王侯騎馬図屛風」(同)などを次々と購入した。本人いわく「天下の至宝」の数々だ。1940(昭和15)年には、神戸・熊内(くもち)に私設の池長美術館を公開し、意欲的に展覧会を催した。

 「身上つぶして南蛮狂(ぐるい)」と自嘲したように、収集に膨大な私財を投じた。戦後は財産税などの支払いが困難となり、収集品散逸を恐れ、市へ美術館とともに譲渡。池長コレクションは現在、神戸市立博物館の所蔵品の中核となっている。

 「聖ザビエル像」も、発見から15年後の35(昭和10)年12月、池長が苦労して手に入れた。所蔵者東藤次郎との仲介役を務めたのは、肖像画を発見した郷土史家藤波大超だ。

 池長の評伝「金箔(きんぱく)の港」の著者、高見沢たか子氏が晩年の藤波を取材し、2人のやりとりをつづっている。池長は、数年前にも一度、売却を打診したが、けんもほろろの対応。今回も「ちょっとした値では売らへんで」という東に池長は「3万円ぐらいしたら売るか」と問い、東が「そんならそうしょう、1万円では売らんわのう」。実は東に売る気はなく、法外な額なら断念するだろうと高をくくっていたらしい。

 だが池長は執念を示す。神戸・垂水の別荘を売り払う決断をし、購入費を工面。大金を前に、東は売却せざるを得なくなった。

 実際の購入額は手数料を含め2万2650円。当時の大卒初任給(73円)の約360倍もの金額だった。遺族によると、東は代金を銀行に預けたまま、生涯手を付けなかったという。

 神戸・熊内の美術館に収まった名画だったが、大戦末の45年、神戸は空襲に見舞われる。熊内一帯も焼け野原となったが、美術館は焼け残った。疎開先から駆け付けた池長は、感涙にむせび備忘録にこう記した。「奇蹟(きせき)は正に顕現(けんげん)した(略)ザビエル上人像も(略)南蛮屛風も、一つ一つが私の肉であり血である世界的の稀覯(きこう)品は、灰にはならなかったのだ。天佑神助(てんゆうしんじょ)と言わずして何であろう」

 長年、神戸市博に勤務した岡泰正・小磯記念美術館長は、「収集は創作」と考えていた池長について「道楽ではなく、神戸のため、社会のため、体系的に収集した優れたコレクター」と高く評価する。彼にとって収集品は、個人の所有物を超えた人類の文化遺産だった。弾圧下のキリシタンらに劣らぬ愛と情熱を、彼は「聖ザビエル像」をはじめとする南蛮美術に注いだのだ。

(2020年12月9日付朝刊より)

執念ともいえる池長の情熱です。

厚生労働省の調査では2019年の大卒初任給は約21万円。単純比較できませんが、370をかけると7770万円。当時の大卒者は珍しく、現在の大卒初任給と比べかなり高額だったと思われます。それだけに工面するのに別荘を売り払う必要があったのでしょう。

池長美術館は、現在神戸市文書館として使われ、歴史的、建築的に価値が高く、市民に親しまれている建築物として景観形成重要建築物にも指定されています。


神戸市文書館=神戸市中央区


池長は、「植物学の父」と呼ばれ、図鑑でも有名な牧野富太郎も支援しました。経済的な援助だけでなく、牧野の膨大な標本を保管するため神戸市兵庫区に植物研究所も設けました。

牧野の自叙伝の中にも「とにかく私の困厄は池長氏のために助けて貰い」と感謝の言葉が綴られています。

2023年前期の連続テレビ小説の「らんまん」は、牧野をモデルにした物語です。神戸にもスポットが当たるかもしれません。

恩人の支援を受けた研究所跡には、記念碑が残っています。


池長植物研究所跡に立つ牧野富太郎の石碑、現在は会下山小公園になっている=神戸市兵庫区会下山町(2007年2月)


池長が苦心して手に入れたザビエル像ですが、神戸にあることはあまり知られていませんでした。そこには、こんな理由があったのかもしれません。

神戸市立博物館所蔵 ザビエルの肖像画

展示「1年60日」の壁

活用策の検討開始 国重文の制限どう克服

 日本にキリスト教を伝えたスペイン人宣教師、フランシスコ・ザビエル。教科書などに掲載されている有名な肖像画が、神戸市立博物館(同市中央区)の所蔵品であることはあまり知られていない。同館は2015年度、展示方法を見直す検討会の中で「神戸のザビエル」のアピール策も話し合う見通しだが、乗り越えがたい“壁”が立ちはだかる。ザビエルが姿を見せるのは、1年に60日以内と決まっているのだ。

 国の重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」。同館は「桜ケ丘銅鐸(どうたく)・銅戈(どうか)」(国宝)のほか、「南蛮屏風(びょうぶ)」(国重文)に代表される南蛮美術、古地図など計約7万点の所蔵品を誇るが、知名度はザビエル像が随一だ。

 背景には、ザビエル本人の認知度の高さがある。07年、小学6年生約1600人を対象にした国立教育政策研究所の調査で、42人の歴史上の人物と業績を結び付ける問題を出したところ、ザビエルの正答率は98・2%に上り、卑弥呼に次いで高かった。その肖像画として、多くの教科書などで同館のザビエル像が使われている。

 だが、絵画が印象に残っても、なかなか神戸とつながらない。06年、同館がザビエル像を所蔵していることを知っているか「市政アドバイザー」に尋ねると、6割近くが「知らない」と答えた。12年には「口ひげまでくっきり見える」を売りに、ホームページに高精細画像をアップしたものの、劇的な効果はなかったという。

 同館は15年度、集客力の向上を目指し、有識者らによる検討会を設けて展示方法などを見直す方針を決定。ザビエル像のPR策も話し合われるというが、文化庁の「国宝・重要文化財の公開に関する取扱要項」に縛られる。光による退色、劣化を防ぐため、公開は年2回、延べ60日以内と定められている。

 さらに、知名度や文化財的価値の高さから、全国の施設の貸し出し依頼が相次ぐ。今年も3~4月に長崎の博物館で公開が決定。その分、神戸で活用できる期間は短くなる。

 市立博物館では近年、年1回の企画展のときだけお披露目されている。担当者は「60日の制限はかなり厳しいが、日本の宝だから仕方がない。どのように展示を工夫できるか、検討会でアイデアを集めたい」と話す。

(2015年2月24日夕刊より)

60日の壁を乗り越えるため、博物館側も知恵を絞ります。

神戸市博が大規模改修

ザビエルルーム新設、常設展示充実

親しまれる施設に 1階無料開放

19年11月再オープンへ 

 神戸市立博物館(同市中央区京町)は今月半ばから、施設の大規模な改修工事を開始する。教科書でおなじみの重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」を中心に展示する「ザビエルルーム」を2階に新設。カフェなどを設ける1階は無料ゾーンとして広く市民や観光客へ開放する計画だ。2月初めから約1年半の休館中で、2019年11月の再オープンを目指す。

 同館は市立南蛮美術館と考古館を統合し、1982年に開館。旧外国人居留地にあり、建物は昭和初期の名建築「旧横浜正金銀行」(現三菱UFJ銀行)神戸支店ビルを転用・改修したが、施設や設備の老朽化が進んでいた。

 約7万点の所蔵品を誇り、国宝「桜ケ丘銅鐸(どうたく)」などを常時展示していたが、国内有数の南蛮美術や古地図コレクションは、年間を通じた展示スペースがなかった。今回、美術・古地図の特集展示室を新設し、常設展示を充実させる。

 「ザビエルルーム」では肖像画とともに聖人の生涯などを紹介するほか、所蔵する貴重なキリシタン資料を並べる。ただし、重文は作品保護のため、年間展示が60日までと制限があり、ザビエル像は実物とレプリカ展示を併用。「桜ケ丘銅鐸室」、ガラス器を並べる「びいどろ・ぎやまん室」も設ける。

 また、これまで施設利用には入館料が必要だったが、ミュージアムショップや体験学習室、港町神戸の歴史文化を紹介する展示エリアがある1階を無料ゾーンとする方針。喫茶室は気軽に美術雑誌や図録を手に取れる「ライブラリーカフェ」にするほか、トイレの改修や授乳室新設で、快適さや利便性を向上させる。

 「コレクションをより活用しつつ、『開かれた博物館』としてさらに親しまれるようになれば」と担当者は話している。

(2018年4月12日付朝刊より)


施設のリニューアルオープンに合わせて販売されたトートバッグや本のしおり(手前)などの「ザビエル」グッズ=神戸市立博物館(2019年12月)


リニューアルされた博物館には「ザビエルグッズ」などが新たに登場しています。

ところで、「ザビエル」の発音ですが、最近の高校教科書では現地の発音に合わせ「シャビエル」としているものがあるようです。

「ザ」と「シャ」では、だいぶ印象が変わります。

ザビエル像を巡っては、不名誉なエピソードも残っています。

こちらにも触れざるを得ません。先ほどの連載の4回目です。

聖画をめぐる物語「ザビエル像」発見100年(4)

修復ミス 「R」が「B」に、研究者当惑

 「描き直されたザビエル画像 心なき古美術修理」。1959(昭和34)年11月、雑誌「週刊朝日」の誌面に、そんなタイトルの記事が躍った。ザビエル画像とは、現在は神戸市立博物館が所蔵する肖像画「聖フランシスコ・ザビエル像」。南蛮美術コレクター池長孟(はじめ)から、51年に神戸市へ譲渡されていた。当時は、同館の前身の市立神戸美術館が管理し、今ではありえないような“事件”を週刊誌に報じられたのだった。

 この年、福岡県で催された南蛮美術展。「聖ザビエル像」も陳列されていたが、観覧した研究者を大いに困惑させた。肖像画に、驚くべき「修復」が施されていたからである。

 画中には、キリストの磔刑(たっけい)像が描かれ、その上端に「INBI」と記されていた。本来は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味するラテン語の頭文字「INRI」。「聖ザビエル像」は、絵の傷みで発見当時から「R」の字の下部が欠落していた。ところが市立神戸美術館は、58年までの修復に際し、誤って「R」を「B」へ改変してしまったのだ。

 明白な過失だった。「剝落部分をすべて補筆する修復方針があだになった。当時の担当者も、作業した修理業者も、キリスト教美術の基礎知識がなかったのだろう」と神戸市博の塚原晃学芸員は指摘する。

 現在の「聖ザビエル像」は額装だが、100年前の発見当初は掛け軸だった。そのため巻きじわができ、絵や文字の一部が傷んでいた。現在まで少なくとも4回修復され、初回の修理は発見まもない21~25年ごろ。横じわなどが補修されたが、絵や文字部分は、ほぼ原状が維持されたとみられる。2度目が池長の購入後で、本格的に額装されたものの補筆はなかった。

 批判を浴びたのは3度目の修理で、市立神戸美術館はその後、「B」の右下隅を削って対応。しかし、元の「R」の欠損状態とは異なる形となり、さらにミスを重ねた。「言語道断」と塚原学芸員は手厳しい。

 今年で制作から約400年、再発見から100年の「聖ザビエル像」。2000年には重要文化財に指定された。この有名作が神戸にあることを広くアピールしようと、神戸市博は昨年秋、大規模改修後の再オープンに合わせ、専用に展示する「ザビエルルーム」を新設した。絵の来歴や内容も詳細に紹介している。

 作品保護のため、本物は年間60日間しか公開できない制約はあるが人気は高い。今秋の展示でも、「懐かしい。小学校の教科書に落書きした」などと、談笑する観客らの姿があった。肖像画をデザインしたグッズも館内で販売され好評だ。

 塚原学芸員によれば「ザビエルの日本製の肖像画はほかに現存例がない」という。歴史的にも貴重な聖画。信者らが秘蔵し、祈りをささげた礼拝画はいま、神戸が世界へ誇る名宝として愛され守られている。未来へと向けて。

(2020年12月11日付朝刊より)

あいたたのミスですね。

ザビエルが日本に滞在したのは2年余り。その後、どうなったのでしょうか。

日本を離れたザビエルは、中国での布教を目指しますが、1552年に46歳で死去したと過去記事にありました。

ザビエルと兵庫との関係では、こんな記事も見つかりました。

日本での布教活動から約450年後、ザビエルの子孫が海を越えて来日しました。

ザビエルの子孫姫路へ

水上バイクで3カ月の航海

宣教の足跡たどる


スペインと日本の国旗を手に、笑顔を見せるアルバロ・デ・マリチャラールさん=姫路港(2006年6月)


 日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの親族の子孫で、ザビエルの宣教の足跡を水上バイクでたどる旅をしているスペイン人のアルバロ・デ・マリチャラールさん(45)が21日、姫路市の姫路港に寄港した。

 ザビエル生誕五百年を記念し、中国・香港の南にある上川島から東京までの約5千キロを水上バイクで航海。4月7日に上川島を出発し、台湾や沖縄、鹿児島などを経て、同日、燃料補給などのため姫路に立ち寄った。

 予定より約3時間遅れの午後5時45分、姫路港に到着したマリチャラールさんは「コンニチワ」と出迎えた人にあいさつ。「ちょっと疲れているけど大丈夫」と話し、提供されたジュースを「カンパーイ!」と一気に飲み干した。

(2006年6月22日付朝刊より)

有名なザビエルの絵ですが、知らないことも多かったのではないでしょうか。

大型連休の5月8日まで「聖フランシスコ・ザビエル像」が神戸市立博物館で公開されています。神戸に来る機会があれば、懐かしのザビエルさんをぜひ訪ねてみてください。

      ◇

神戸新聞紙面に掲載された記事や写真を特定のテーマでまとめたウェブマガジン「うっとこ兵庫」の投稿を掲載しています。


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