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Saturday, April 30, 2022

義経の奇襲が有名な「屋島の戦い」の背景と戦況|義経失脚に繋がる逆櫓論争も解説【日本史事件録】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - serai.jp

はじめに-屋島の戦いとはどんな戦いだったのか

平安時代後期に勃発した源平合戦(治承・寿永の乱)。その一つである「屋島の戦い」は文治元年(1185)に、讃岐国屋島(=現在の香川県高松市)で行われた合戦です。那須与一の「扇の的当て」の伝説が生まれた戦いとしても知られています。では、「屋島の戦い」はなぜ起こり、どのように進められたのでしょうか。

目次
はじめに-屋島の戦いとはどんな戦いだったのか
屋島の戦いはなぜ起こったのか?
関わった武将たち
この戦いの戦況と結果
屋島の戦い、その後
まとめ

屋島の戦いはなぜ起こったのか?

寿永3年(1184)2月の「一ノ谷の戦い」に勝利した源頼朝は、源範頼(のりより)には主力勢を率いて鎌倉へ帰還させ、義経には在京代官として西国の軍勢を委ねました。義経は山城・摂津・河内・和泉を直轄とし、平家余党の探索、その所領の接収、治安の回復、御家人の編成、兵糧の徴収などを家臣らにあたらせました。

一方、同年8月には、再び鎌倉から範頼が大将軍として追討軍に派遣されました。総指揮官として平氏追討のため山陽道を西へ向かった範頼でしたが、翌年正月に至ってもはかばかしい戦果を上げられずにいました。というのも、平氏方は平知盛(とももり)が長門国(=現在の山口県)の彦島に拠って関門海峡を押さえ、なお瀬戸内一帯の制海権を温存していたからでした。

それを受けて、ついに頼朝は総指揮官の任を解いていた義経の起用に踏み切ります。そして、文治元年(1185)2月16日に義経は四国渡海を決行。屋島を攻撃したことで、「屋島の戦い」が始まりました。

関わった武将たち

屋島の戦いに関わった、源平の主な武将をご紹介しましょう。

源氏方

・源義経

源義経

頼朝の異母弟にあたる武将。幼い頃に、鞍馬寺に入り、さらに奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せました。その後、兄・頼朝の挙兵に応じて義仲を討ち、数々の戦いで平氏を破った人物です。

・梶原景時(かげとき)

幕府の御家人である武将。平氏追討戦では軍奉行(いくさぶぎょう)として西上し、義経軍に属します。

・佐藤継信(つぎのぶ)

義経の家人。この合戦で、自ら盾となり義経を守ったことで討死したと伝えられています。

・那須与一(なすのよいち)

下総の那須氏の豪族。随一の弓の名手であったことが知られています。

平家方

・平宗盛(むねもり)

平宗盛

清盛の子。総大将として一門を率いる人物です。攻撃を受け、安徳天皇と一門を連れて海上の船へと逃亡しました。

・田口成良(しげよし)

阿波国の有力在地武士。平家方として参加していました。

この戦いの戦況と結果

2月18日未明、風雨に乗じて摂津渡辺を出帆した義経は、同日早朝150余騎とともに阿波勝浦(=現在の徳島市)に上陸。そこで在地の武士・近藤親家(いえちか)を味方につけます。親家から、平家軍において四国での大きな戦力である田口氏の軍勢が伊予へ出兵していることを聞いた義経は、屋島が手薄であり、今が好機と判断しました。

当時その名のとおり「島」であった屋島は、通常であれば馬に乗っての攻撃は難しい場所でした。そこで、馬でも攻め入ることができるほどの浅瀬になる干潮時を狙い、一気に屋島を攻撃したのです。その際、義経は大軍の襲来と見せかける為に民家を放火しながら平氏軍を背後から急襲したとされています。

屋島の対岸に数百艘にも及ぶ軍船を隠し、海路からの源氏の襲来に備えていた平家ですが、背後からの急襲に慌てふためき、辛うじて船で沖へと逃げます。源氏の奇襲は成功し、屋島は義経の手に落ちることになりました。

このとき屋島に集まっていた兵力としては、平氏軍が約3000騎であるのに対し、奇襲をかけた義経軍は約150騎程度であったとされています。数字の上では圧倒的に不利な状況の中、「一ノ谷の戦い」に引き続き、義経の奇襲攻撃で源氏方の勝利を確かなものにしたのでした。

また、有名な伝説である「扇の的当て」は、この戦いの休戦中、平氏軍の船中から女性が現れ、竿の先に括り付けた扇を射てと源氏を挑発したことから始まります。これを辞退しては源氏の名折れと考えた源義経は、現地にいた家臣のなかでも、随一の弓の名手であった「那須与一」に扇の的を射るように命じました。

与一は、主君の命を断ることはできず、ついに的を射る役目を受けることを決意します。そして、見事に扇の的を射落としました。その腕前に敵味方を問わず両軍から歓声が沸き上がったとされています。ただ、この出来事は『平家物語』や『源平盛衰記』によって伝承された逸話の域を出ません。

また、義経軍に属していた梶原景時と義経にまつわる逸話もあります。『平家物語』によれば、景時は船に逆櫓(さかろ)をつけて自由に進退できるようにしようと提案したものの、義経は兵が臆病風にふかれて退いてしまうと反対。「逆櫓論争」として知られるこの口論の後、義経は暴風のなかを5艘150騎で出港して屋島を落としました。

逆櫓論争
逆櫓論争(『大日本歴史錦繪』デジタル国会図書館より)

義経軍に遅れて景時の本隊が到着した時には、すでに平家は逃亡していました。義経は景時を「六日の菖蒲(時機に後れて役に立たない)」と嘲笑したとされています。ここで生じた二人の対立が、後の義経の失脚に繋がっていきます。

屋島の戦い、その後

2月21日、平氏軍はいったん志度浦(しどうら)(=現在の香川県さぬき市)に退いたのち、長門国の彦島に本陣を構えました。既に九州は範頼の大軍によって押さえられているため、平家一族は瀬戸内海で孤立している状態でした。これを契機として、熊野、河野などの有力水軍の参加を得た源氏軍は、平氏方より制海権を奪取し、来たるべき壇ノ浦の海上決戦に備えることとなります。

まとめ

最後の戦いとして有名な壇ノ浦の戦いへと繋がる、「屋島の戦い」。この戦いを紐解くことで、四国と九州で挟み撃ちをされ、じりじりと追い詰められていく平家の状況とそのひっ迫感が読み取れるのではないでしょうか。

文/豊田莉子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/鈴木菜々絵(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com
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引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

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有名なコナミコマンドや”制作者の愚痴”まで……奥深いレトロゲームにおける“裏技”の世界 - リアルサウンド

 さまざまな懐かしのハードが“ミニ”になって復刻したり、海外では中古ソフトの価格が高騰したりと、近年色んな意味で改めて注目が集まっているレトロゲーム。そんなレトロゲームについて、音楽業界随一のゲーマー&レトロゲームコレクターとして名高い、KICK THE CAN CREWのMCUがひたすら語り尽くす連載「MCUの『ゲーム横丁8丁目』」。

 連載第3回・第4回で取りあげるテーマは、「裏技」。いわずと知れたゲームにまつわる本来のゲームテクニックとは、ちょっとかけ離れたところにある裏のテクニック。それはプレイヤーが取得した優れたものもあれば、偶然に誕生したもの、プログラムのバグから生まれたものなど、様々。今回は裏技のみならず、隠れキャラ、隠しコマンド、隠しメッセージも含めて、ゲームを盛り上げてくれた“裏情報”の魅力を紹介する。(編集部)

裏技と言ったらコナミコマンド

  連載第3回の今回は、俗にいう裏技、隠れキャラ、隠しコマンド、隠しメッセージ、バグ技もひっくるめて「懐かしの裏技」についてお話ししたいと思います。

 「裏技」は、もう出尽くされた感はありますし、今回ご紹介するものも新しく発見されたものではありませんが、僕なりの視点から思い出話としてお話していきます。

 裏技、裏コマンドと言えば、僕が最初に頭に浮かぶのはファミコン版『グラディウス』(コナミ)です。

 いわゆる「コナミコマンド」というもので、グラディウスから始まり、さまざまなコナミのタイトルに使える有名なコマンド「上上下下左右左右BA」ですね。

 念のために説明しますと、ゲーム開始時やポーズをかけたあとに、コナミコマンドを入力すると、自機がスピードアップ1段階、ミサイル、オプション2つ、バリアを装備し、大幅な強化状態になるというものでした。

 コナミコマンドは「上上下下左右左右BA」という羅列が格好よくて覚えやすいこともあり、レトロゲーマーの誰もが暗記していたという、本当にわかりやすい裏技でした。

 コナミコマンドは『グラディウス』のみならず、コナミのそのほかのゲームにも採用されていました。あのころ、新しいゲームを買うとコナミコマンドを片っ端から試していましたね。

 それで調子に乗って『グラディウスIII』で同じコナミコマンドを入れると、自機が爆発しちゃうという(笑)、遊び心溢れる仕掛けが施されており、それも含めてみんながハマっていました。

 僕の世代とその前後の世代にとっては、いまでも絶対に忘れないコマンドですね。本当に強烈なコマンドで、何度入れたかわかりません。

 そんな裏技の本当の起源に関しては諸説ありますが、世に「裏技」という言葉を定着させたのは、おそらくファミコンで、『グラディウス』や『スーパーマリオブラザーズ』といったタイトルの存在でした。スーパーマリオの「無限増殖」なんて、とてもインパクトがありましたもんね。

 『スーパーマリオブラザーズ』は、隠されたワープ面や、隠しキャラクターなど、制作陣の意図している部分も多いゲームでしたから、ひとつ裏技が見つかると、みんながそれを必死に探すという遊びも生まれていましたね。

 『スーパーマリオブラザーズ』では、俗にいう8-4の面以降、『テニス』のROMを使ったバグ(誤動作)で、256ワールドとかマイナス1面に行けるみたいなすごい裏技もありました。

 これは、ファミコンが故障する可能性があるのでやらないほうがいいと思いますが、8-4をクリアしたら、ファミコンの電源を入れたまま『スーパーマリオブラザーズ』のROMカセットを抜いて、『テニス』のROMを挿してプレイして、また抜いて『スーパーマリオブラザーズ』を入れて遊ぶと、普通では遊べない面になるという裏技がありました。

 そうしたすごい裏技もあれば、1-2の地下ステージの天井に乗っかって、手に入れた数を表示しているコインのマークのところに、マリオを同時に重ね、ちょうどマリオの股間にコインが表示されてキラキラしていたのを見て、それを「キンタマリオ」と呼んでいたりもしました。小学生の僕たちはそれだけでもう大爆笑でしたね。

実際にMCUに再現してもらった

 そういうことを自分たちなりに考えて、なんでも「裏技」にしてしまうというか。それをゲーム雑誌に投稿していた人も結構いたんじゃないかなと思います。ファミコンの全盛期はそんな時代でした。

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ゴルフ界で有名なガラスコーティング"ハドラス"がバイクシーンに進出。全日本ロードレース選手権・ST1000クラスで実証試験も - バイクニュース - タンデムスタイル

ハドラスコーティング_メイン

ゴルフのクラブヘッドに施工するガラスコーティング剤”ハドラス”を展開するハドラスホールディングスは、そのハドラスの空気抵抗低減効果を検証するため、実際のバイクレースで実証実験を行なうことを発表。同時に2022年より全日本ロードレース選手権・ST1000クラスに参戦するオートレース宇部RACING TEAMのオフィシャルスポンサーとしての契約を締結した。

2021年からハドラスはスポーツ界全体への進出をスタートさせているが、バイク業界への進出の第一歩として2022年から全日本ロードレース選手権・ST1000クラスへ参戦するオートレース宇部RACING TEAMのオフィシャルスポンサーとなった。そしてこれは同チームのマシンのカウルや、ヘルメットなどのレーシングウエアにハドラスコーティングをほどこし、ハドラスが持つ空気抵抗低減効果を実証実験する意味も含まれるとのこと。そして2022年シーズン、同チームはハドラス施工カウルやヘルメットで戦い、得られたデータをフィードバックしていくことになる。

そもそもハドラス(HardoLass)とは、日本で開発された無機ガラス皮膜を形成するコーティング剤。成分が空気中の水分と反応し、硬化する一液性のコーティング剤で、膜厚は、ナノレベル超薄膜を形成。超微粒子液体のため、非常に細かい部分に隅々まで溶剤が入り込み、クラック(割れ)などがほとんどないのが特徴になるとのこと。それと大きな特徴は防傷性・防汚性が大きく向上するとともに、あらゆる素材への施工が可能だという点をハドラスでは挙げている。バイク界ではなじみがないハドラスだが、今回の全日本ロードレース選手権での実証を経て、より我々にとって身近な存在となるかもしれない。

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覚えてますか? 宣教師ザビエルさん。実は神戸で見られるんです | 深デジ - 神戸新聞NEXT

「宣教師」と言えば、この方を思い浮かべるのではないでしょうか。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルです。上の写真を見て懐かしがった方も多いはずです。教科書に載っていた肖像画が多くの子どもたちの記憶に刻まれています。この絵は長らく神戸の博物館に保管されてきました。なぜ神戸にあるのか。その背景を紹介します。

最初に見つかったのは神戸ではなく、大阪でした。

大阪の旧家で守り伝えられ

発見100年 ザビエル像公開

日本製ほかに現存例なし

 16世紀半ば、日本にキリスト教を伝えた宣教師の肖像画で、教科書でも有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」(重要文化財)の公開が3日、所蔵する神戸市立博物館(同市中央区)で始まった。今年は本作品が1920(大正9)年秋、現在の大阪府茨木市の旧家で発見されてからちょうど100年に当たる。

 ザビエルはイエズス会の創設会員。1549年に来日後2年余り、九州、近畿など各地で伝道した。「アジアで布教し、日本だけでなく、世界的にも極めて有名」と塚原晃・同館学芸員は説明する。

 肖像画は縦61センチ、横48.7センチ。ザビエルが十字架のキリストを見上げ、胸の前で手を交差させて祈る姿を描く。燃える心臓を手にし、神の愛に圧倒されて叫んだ「主よ、十分です」との言葉がラテン語で記してある。西洋画の技法を学んだ日本人絵師が手掛け、江戸初期に制作された礼拝用の聖画と推測されている。

 当時のキリスト教の聖画は、幕府の禁教によって大半が没収、破壊されたが、本作品は「隠れキリシタンの里」として知られる茨木・千提寺(せんだいじ)の集落の民家で奇跡的に守り伝えられた。発見後、昭和前期に、神戸の南蛮美術コレクター池長孟(はじめ)が購入し、戦後、神戸市に譲り渡した。

 塚原学芸員は「ザビエルの日本製の肖像画はほかに現存例がなく、貴重。発見100年の機会、実物を間近で見てもらえれば」。親子で訪れた男性は「歴史の教科書に載っていたザビエル像の顔に落書きしたのを覚えている」と懐かしんだ。

(2020年11月4日付朝刊より)

2020年が、ちょうど発見から100年の節目でした。

神戸市役所の近く、旧居留地と呼ばれるエリアにある神戸市立博物館に収蔵されています。


「聖フランシスコ・ザビエル像」を収蔵する神戸市立博物館=神戸市中央区


あれほど有名な絵なのに、だれが描いたか分かっていないんですね。

記事にある通り、教科書の絵がいたずらっ子の標的になりました。

大阪から神戸へ。そこには熱心なコレクターの存在がありました。発見の経緯を追う連載で詳しく説明されています。

聖画をめぐる物語「ザビエル像」発見100年(2)

コレクター・池長孟

南蛮美術の収集、生涯情熱 

 300年もの間、大阪・茨木の山里で、信者が決死の覚悟で守った「聖フランシスコ・ザビエル像」。教科書で誰もが知る肖像画がなぜ神戸市立博物館にあるのか。「南蛮堂」と号し、南蛮美術収集に没頭した池長孟(はじめ)(1891~1955年)が神戸に暮らしていたからにほかならない。

 南蛮美術は、桃山時代から江戸初期に、西欧の影響を受け作られた異国趣味の美術品。資産家で、植物学者牧野富太郎を支援したことでも知られる池長は、その魅力に取りつかれ、昭和初期から、狩野内膳(ないぜん)筆「南蛮屛風(びょうぶ)」(重要文化財)や「泰西王侯騎馬図屛風」(同)などを次々と購入した。本人いわく「天下の至宝」の数々だ。1940(昭和15)年には、神戸・熊内(くもち)に私設の池長美術館を公開し、意欲的に展覧会を催した。

 「身上つぶして南蛮狂(ぐるい)」と自嘲したように、収集に膨大な私財を投じた。戦後は財産税などの支払いが困難となり、収集品散逸を恐れ、市へ美術館とともに譲渡。池長コレクションは現在、神戸市立博物館の所蔵品の中核となっている。

 「聖ザビエル像」も、発見から15年後の35(昭和10)年12月、池長が苦労して手に入れた。所蔵者東藤次郎との仲介役を務めたのは、肖像画を発見した郷土史家藤波大超だ。

 池長の評伝「金箔(きんぱく)の港」の著者、高見沢たか子氏が晩年の藤波を取材し、2人のやりとりをつづっている。池長は、数年前にも一度、売却を打診したが、けんもほろろの対応。今回も「ちょっとした値では売らへんで」という東に池長は「3万円ぐらいしたら売るか」と問い、東が「そんならそうしょう、1万円では売らんわのう」。実は東に売る気はなく、法外な額なら断念するだろうと高をくくっていたらしい。

 だが池長は執念を示す。神戸・垂水の別荘を売り払う決断をし、購入費を工面。大金を前に、東は売却せざるを得なくなった。

 実際の購入額は手数料を含め2万2650円。当時の大卒初任給(73円)の約360倍もの金額だった。遺族によると、東は代金を銀行に預けたまま、生涯手を付けなかったという。

 神戸・熊内の美術館に収まった名画だったが、大戦末の45年、神戸は空襲に見舞われる。熊内一帯も焼け野原となったが、美術館は焼け残った。疎開先から駆け付けた池長は、感涙にむせび備忘録にこう記した。「奇蹟(きせき)は正に顕現(けんげん)した(略)ザビエル上人像も(略)南蛮屛風も、一つ一つが私の肉であり血である世界的の稀覯(きこう)品は、灰にはならなかったのだ。天佑神助(てんゆうしんじょ)と言わずして何であろう」

 長年、神戸市博に勤務した岡泰正・小磯記念美術館長は、「収集は創作」と考えていた池長について「道楽ではなく、神戸のため、社会のため、体系的に収集した優れたコレクター」と高く評価する。彼にとって収集品は、個人の所有物を超えた人類の文化遺産だった。弾圧下のキリシタンらに劣らぬ愛と情熱を、彼は「聖ザビエル像」をはじめとする南蛮美術に注いだのだ。

(2020年12月9日付朝刊より)

執念ともいえる池長の情熱です。

厚生労働省の調査では2019年の大卒初任給は約21万円。単純比較できませんが、370をかけると7770万円。当時の大卒者は珍しく、現在の大卒初任給と比べかなり高額だったと思われます。それだけに工面するのに別荘を売り払う必要があったのでしょう。

池長美術館は、現在神戸市文書館として使われ、歴史的、建築的に価値が高く、市民に親しまれている建築物として景観形成重要建築物にも指定されています。


神戸市文書館=神戸市中央区


池長は、「植物学の父」と呼ばれ、図鑑でも有名な牧野富太郎も支援しました。経済的な援助だけでなく、牧野の膨大な標本を保管するため神戸市兵庫区に植物研究所も設けました。

牧野の自叙伝の中にも「とにかく私の困厄は池長氏のために助けて貰い」と感謝の言葉が綴られています。

2023年前期の連続テレビ小説の「らんまん」は、牧野をモデルにした物語です。神戸にもスポットが当たるかもしれません。

恩人の支援を受けた研究所跡には、記念碑が残っています。


池長植物研究所跡に立つ牧野富太郎の石碑、現在は会下山小公園になっている=神戸市兵庫区会下山町(2007年2月)


池長が苦心して手に入れたザビエル像ですが、神戸にあることはあまり知られていませんでした。そこには、こんな理由があったのかもしれません。

神戸市立博物館所蔵 ザビエルの肖像画

展示「1年60日」の壁

活用策の検討開始 国重文の制限どう克服

 日本にキリスト教を伝えたスペイン人宣教師、フランシスコ・ザビエル。教科書などに掲載されている有名な肖像画が、神戸市立博物館(同市中央区)の所蔵品であることはあまり知られていない。同館は2015年度、展示方法を見直す検討会の中で「神戸のザビエル」のアピール策も話し合う見通しだが、乗り越えがたい“壁”が立ちはだかる。ザビエルが姿を見せるのは、1年に60日以内と決まっているのだ。

 国の重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」。同館は「桜ケ丘銅鐸(どうたく)・銅戈(どうか)」(国宝)のほか、「南蛮屏風(びょうぶ)」(国重文)に代表される南蛮美術、古地図など計約7万点の所蔵品を誇るが、知名度はザビエル像が随一だ。

 背景には、ザビエル本人の認知度の高さがある。07年、小学6年生約1600人を対象にした国立教育政策研究所の調査で、42人の歴史上の人物と業績を結び付ける問題を出したところ、ザビエルの正答率は98・2%に上り、卑弥呼に次いで高かった。その肖像画として、多くの教科書などで同館のザビエル像が使われている。

 だが、絵画が印象に残っても、なかなか神戸とつながらない。06年、同館がザビエル像を所蔵していることを知っているか「市政アドバイザー」に尋ねると、6割近くが「知らない」と答えた。12年には「口ひげまでくっきり見える」を売りに、ホームページに高精細画像をアップしたものの、劇的な効果はなかったという。

 同館は15年度、集客力の向上を目指し、有識者らによる検討会を設けて展示方法などを見直す方針を決定。ザビエル像のPR策も話し合われるというが、文化庁の「国宝・重要文化財の公開に関する取扱要項」に縛られる。光による退色、劣化を防ぐため、公開は年2回、延べ60日以内と定められている。

 さらに、知名度や文化財的価値の高さから、全国の施設の貸し出し依頼が相次ぐ。今年も3~4月に長崎の博物館で公開が決定。その分、神戸で活用できる期間は短くなる。

 市立博物館では近年、年1回の企画展のときだけお披露目されている。担当者は「60日の制限はかなり厳しいが、日本の宝だから仕方がない。どのように展示を工夫できるか、検討会でアイデアを集めたい」と話す。

(2015年2月24日夕刊より)

60日の壁を乗り越えるため、博物館側も知恵を絞ります。

神戸市博が大規模改修

ザビエルルーム新設、常設展示充実

親しまれる施設に 1階無料開放

19年11月再オープンへ 

 神戸市立博物館(同市中央区京町)は今月半ばから、施設の大規模な改修工事を開始する。教科書でおなじみの重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」を中心に展示する「ザビエルルーム」を2階に新設。カフェなどを設ける1階は無料ゾーンとして広く市民や観光客へ開放する計画だ。2月初めから約1年半の休館中で、2019年11月の再オープンを目指す。

 同館は市立南蛮美術館と考古館を統合し、1982年に開館。旧外国人居留地にあり、建物は昭和初期の名建築「旧横浜正金銀行」(現三菱UFJ銀行)神戸支店ビルを転用・改修したが、施設や設備の老朽化が進んでいた。

 約7万点の所蔵品を誇り、国宝「桜ケ丘銅鐸(どうたく)」などを常時展示していたが、国内有数の南蛮美術や古地図コレクションは、年間を通じた展示スペースがなかった。今回、美術・古地図の特集展示室を新設し、常設展示を充実させる。

 「ザビエルルーム」では肖像画とともに聖人の生涯などを紹介するほか、所蔵する貴重なキリシタン資料を並べる。ただし、重文は作品保護のため、年間展示が60日までと制限があり、ザビエル像は実物とレプリカ展示を併用。「桜ケ丘銅鐸室」、ガラス器を並べる「びいどろ・ぎやまん室」も設ける。

 また、これまで施設利用には入館料が必要だったが、ミュージアムショップや体験学習室、港町神戸の歴史文化を紹介する展示エリアがある1階を無料ゾーンとする方針。喫茶室は気軽に美術雑誌や図録を手に取れる「ライブラリーカフェ」にするほか、トイレの改修や授乳室新設で、快適さや利便性を向上させる。

 「コレクションをより活用しつつ、『開かれた博物館』としてさらに親しまれるようになれば」と担当者は話している。

(2018年4月12日付朝刊より)


施設のリニューアルオープンに合わせて販売されたトートバッグや本のしおり(手前)などの「ザビエル」グッズ=神戸市立博物館(2019年12月)


リニューアルされた博物館には「ザビエルグッズ」などが新たに登場しています。

ところで、「ザビエル」の発音ですが、最近の高校教科書では現地の発音に合わせ「シャビエル」としているものがあるようです。

「ザ」と「シャ」では、だいぶ印象が変わります。

ザビエル像を巡っては、不名誉なエピソードも残っています。

こちらにも触れざるを得ません。先ほどの連載の4回目です。

聖画をめぐる物語「ザビエル像」発見100年(4)

修復ミス 「R」が「B」に、研究者当惑

 「描き直されたザビエル画像 心なき古美術修理」。1959(昭和34)年11月、雑誌「週刊朝日」の誌面に、そんなタイトルの記事が躍った。ザビエル画像とは、現在は神戸市立博物館が所蔵する肖像画「聖フランシスコ・ザビエル像」。南蛮美術コレクター池長孟(はじめ)から、51年に神戸市へ譲渡されていた。当時は、同館の前身の市立神戸美術館が管理し、今ではありえないような“事件”を週刊誌に報じられたのだった。

 この年、福岡県で催された南蛮美術展。「聖ザビエル像」も陳列されていたが、観覧した研究者を大いに困惑させた。肖像画に、驚くべき「修復」が施されていたからである。

 画中には、キリストの磔刑(たっけい)像が描かれ、その上端に「INBI」と記されていた。本来は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味するラテン語の頭文字「INRI」。「聖ザビエル像」は、絵の傷みで発見当時から「R」の字の下部が欠落していた。ところが市立神戸美術館は、58年までの修復に際し、誤って「R」を「B」へ改変してしまったのだ。

 明白な過失だった。「剝落部分をすべて補筆する修復方針があだになった。当時の担当者も、作業した修理業者も、キリスト教美術の基礎知識がなかったのだろう」と神戸市博の塚原晃学芸員は指摘する。

 現在の「聖ザビエル像」は額装だが、100年前の発見当初は掛け軸だった。そのため巻きじわができ、絵や文字の一部が傷んでいた。現在まで少なくとも4回修復され、初回の修理は発見まもない21~25年ごろ。横じわなどが補修されたが、絵や文字部分は、ほぼ原状が維持されたとみられる。2度目が池長の購入後で、本格的に額装されたものの補筆はなかった。

 批判を浴びたのは3度目の修理で、市立神戸美術館はその後、「B」の右下隅を削って対応。しかし、元の「R」の欠損状態とは異なる形となり、さらにミスを重ねた。「言語道断」と塚原学芸員は手厳しい。

 今年で制作から約400年、再発見から100年の「聖ザビエル像」。2000年には重要文化財に指定された。この有名作が神戸にあることを広くアピールしようと、神戸市博は昨年秋、大規模改修後の再オープンに合わせ、専用に展示する「ザビエルルーム」を新設した。絵の来歴や内容も詳細に紹介している。

 作品保護のため、本物は年間60日間しか公開できない制約はあるが人気は高い。今秋の展示でも、「懐かしい。小学校の教科書に落書きした」などと、談笑する観客らの姿があった。肖像画をデザインしたグッズも館内で販売され好評だ。

 塚原学芸員によれば「ザビエルの日本製の肖像画はほかに現存例がない」という。歴史的にも貴重な聖画。信者らが秘蔵し、祈りをささげた礼拝画はいま、神戸が世界へ誇る名宝として愛され守られている。未来へと向けて。

(2020年12月11日付朝刊より)

あいたたのミスですね。

ザビエルが日本に滞在したのは2年余り。その後、どうなったのでしょうか。

日本を離れたザビエルは、中国での布教を目指しますが、1552年に46歳で死去したと過去記事にありました。

ザビエルと兵庫との関係では、こんな記事も見つかりました。

日本での布教活動から約450年後、ザビエルの子孫が海を越えて来日しました。

ザビエルの子孫姫路へ

水上バイクで3カ月の航海

宣教の足跡たどる


スペインと日本の国旗を手に、笑顔を見せるアルバロ・デ・マリチャラールさん=姫路港(2006年6月)


 日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの親族の子孫で、ザビエルの宣教の足跡を水上バイクでたどる旅をしているスペイン人のアルバロ・デ・マリチャラールさん(45)が21日、姫路市の姫路港に寄港した。

 ザビエル生誕五百年を記念し、中国・香港の南にある上川島から東京までの約5千キロを水上バイクで航海。4月7日に上川島を出発し、台湾や沖縄、鹿児島などを経て、同日、燃料補給などのため姫路に立ち寄った。

 予定より約3時間遅れの午後5時45分、姫路港に到着したマリチャラールさんは「コンニチワ」と出迎えた人にあいさつ。「ちょっと疲れているけど大丈夫」と話し、提供されたジュースを「カンパーイ!」と一気に飲み干した。

(2006年6月22日付朝刊より)

有名なザビエルの絵ですが、知らないことも多かったのではないでしょうか。

大型連休の5月8日まで「聖フランシスコ・ザビエル像」が神戸市立博物館で公開されています。神戸に来る機会があれば、懐かしのザビエルさんをぜひ訪ねてみてください。

      ◇

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Thursday, April 28, 2022

温泉だけじゃない!アートもたっぷり楽しめる【箱根&熱海】を旅してきました - 読売新聞社

箱根と熱海。それぞれ有名な観光地のため、独立した行き先として考えられることが多いですが、意外にも公共交通機関を使ってハシゴできてしまうこと、ご存知でしたか?
箱根湯本駅から熱海駅までは、小田原経由で約50分。日数に余裕があるなら、思い切って周遊も可能です。何日かかけて両エリアのアートスポットを歩いてきました。(ライター・虹)

箱根エリア

モネ、リヒター、国内有数の西洋美術 ポーラ美術館

箱根のアートスポットといえばポーラ美術館は外せません。美術展ナビでもおなじみですね。4月9日に始まった「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ―新収蔵作品を中心に」が現在開催中です。

ポーラ美術館
所在:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山 1285
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:入館料:大人1,800円 大高生1,300円 中学生以下無料
公式ホームページ:https://www.polamuseum.or.jp/

一歩足を踏み入れたらそこは別世界 箱根ガラスの森美術館

箱根と言えば、一度はその名を耳にしたことがある「箱根ガラスの森美術館」。年間を通じて多くの来館者が訪れる、人気のスポットです。
同館はポーラ美術館と同じ仙石原エリアにある、日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館。

本場のヴェネチアン・グラスも手に入るミュージアムショップ

15世紀から19世紀にかけて作られた歴史ある品から、現代の作家による作品までを幅広く紹介。美術館を含む敷地内はヴェネチアをイメージして作られており、生演奏を聴きながら食事を楽しめる本格的なカフェ・レストランや、体験型のガラス工房、豊富な品揃えのミュージアムショップも備えています。


さまざまな楽しみ方のできる箱根ガラスの森美術館ですが、白眉はやはり美術館の展示内容でしょう。築き上げられたコレクションは、じっくり鑑賞したいと思わせる見応えです。加えて雰囲気を盛り上げる内装には、思わず感嘆の声があがるはず。

美術館でガラスの製造工程を鑑賞した上で体験工房に行くと、よりヴェネチアン・グラスへの理解が深まるのではないでしょうか。
また、前述のカフェ・レストランは人気が高いため、利用を考えている方は入館後に予約を入れることをお勧めします!

箱根ガラスの森美術館
所在:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原940-48
開館時間:午前10時~午後5時30分(入館は午後5時まで)
入館料:入館料:大人1,800円 大高生1,300円 小中生600円
公式ホームページ:https://www.hakone-garasunomori.jp/

究極の足湯も楽しめる 岡田美術館

2013年に小涌谷の温泉郷に誕生した岡田美術館。日本絵画から中国の陶磁器、仏教美術まで東洋美術の本格的なコレクションを擁する同館は、常時およそ450点の作品を展示。全5階、約5,000㎡の展示面積を誇ります。

静岡県産の茶葉で作った和紅茶は、イギリスのグレートテイストアワード金賞受賞商品。ほかに地産の牛乳で作ったソフトクリームも人気だそう

来館者を迎えるのが巨大な風神雷神図。こちらは日本画家・福井江太郎氏による大壁画《風・刻(かぜ・とき)》です。そして壁画に向かうようにして設置されているのが、岡田美術館名物ともいえる「足湯カフェ」。
敷地内から湧き出る温泉を活用した100%源泉かけ流しの足湯は、絶妙な温度はまさに極楽! やわらかい風に吹かれながらカフェのメニューを楽しんでいると、「もう今日は一日このままでいい……」と思えてしまうほど。
とはいえ、美術館を目前にしてそれは勿体ないので館内に入りましょう。

現在開催中の「花鳥風月 名画で見る日本の四季」は、前期を「春夏」、後期を「秋冬」に分け、岡田美術館の名品約100件を前・後期全て入れ替えで鮮やかに展開します。

若冲、抱一、北斎、御舟から、なんと田中一村までをカバーするといった幅広いキュレーションは見ごたえ十分。前期であれば、2016年に80余年ぶりに再発見され話題となった、伊藤若冲の《孔雀鳳凰図》も見ることができますよ。

手前 伊藤若冲《孔雀鳳凰図》 江戸時代 宝暦5年(1755)頃 重要美術品 岡田美術館蔵
菱田春草《薊に鳩》(部分) 明治時代後期 20世紀初頭 岡田美術館蔵/展示室にはこのようなタッチパネルもあり、小さく見落としがちな鑑賞ポイントも学芸員の解説入りで紹介されています

常設展も非常に充実しており、美術が好きな方なら1日ここで過ごせるほど。入館料を見たときは少し身構えてしまった人も、美術館を出る頃には「むしろ安い」と思うはずです。リピーター割引もあるので、賢く使って四季の名品を味わいたいですね。


岡田美術館
所在:神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷493-1
開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日:12月31日、1月1日、展示替期間
公式ホームページ:https://www.okada-museum.com/

箱根の隠れ家的なカフェ「ティムニー」

箱根には魅力的なカフェがたくさんありますが、アクセスしやすい店舗は満席になりがちなのが玉に瑕。
そんな中、アクセス良好なうえに落ち着いて旅を楽しむことができるのが「ティムニー」です。
箱根湯本駅のすぐ近く、早川沿いにあるこの隠れ家的カフェでは、川のせせらぎを聴きながらゆったりした時間を味わうことができます。

喫煙エリア。店内は完全分煙となっています

1階と2階にイートインスペースがあり、2階はソファ席や窓辺のカウンター席、喫煙席が用意されています。

日々の喧騒を忘れ、ここから旅を始めるのも良いですね。
小腹を満たすのにちょうど良いメニューも用意されているので、本格的なランチを控えているときにも重宝しますよ。

グリルドチーズサンド ドリンクセットで1,100円

ティムニー (Timuny.)
所在:神奈川県足柄下郡箱根町湯本706-32
営業時間:10:00~19:00
定休日:水曜日
カード不可、電子マネー不可

熱海エリア

風光明媚な環境で東洋美術を味わう MOA美術館

ヘンリー・ムア≪王と王妃≫1952-1953年

「熱海の美術館」と聞いて「MOA美術館」を真っ先に思い浮かべる方は多いでしょう。
東洋美術を専門とするこちらの美術館は、1982年に開館。その後大規模な改修工事を経て、2017年に現在の姿でリニューアルオープンされました。

最初に来館者の目を奪うのは、なんといっても風光明媚なこの眺めでしょう。壁面に施された彫刻は壮大で、まるで古代遺跡のような印象を受けます。

エミール・アントワーヌ・ブールデル《アポロンと瞑想》1912年

展示室には屋久杉や黒漆喰など吟味した素材がふんだんに使われ、また、蒔絵の人間国宝である室瀬和美による巨大な漆塗りの扉が設けられています。窓からの眺めも壮観。随所で確立された美意識を感じることができます。

海を臨む景色が見事。ロビーや展示フロアを手掛けたのは、現代美術作家の杉本博司と建築家の榊田倫之が主宰する「新素材研究所」です
美しく整えられた庭のほかに、このような里山のようなエリアも歩くことができます。)
建物だけでなく中庭も見応えある造りとなっており、四季折々の草花を楽しみながら散策することができます
尾形光琳による《紅白梅図屏風》(国宝)を所蔵することもあり、敷地内には復元された「光琳屋敷」も
「花の茶屋」の海老天丼。地産地消をコンセプトにしており、庭園を眺めながら食事ができます。尾形乾山の写しの器が使われた「乾山花見弁当」も人気

食事処も充実しており、カフェ、和食、茶室と、どこで休憩を取ろうか迷うほどです。
現在開催中の「大蒔絵展 漆と金の千年物語」は5月8日まで。平安時代から現代までの蒔絵の変遷が優品によって紹介されています。

MOA美術館
所在:静岡県熱海市桃山町26-2
時間:午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日:木曜日 (祝休日の場合は開館)、展示替え日
ホームページ:https://www.moaart.or.jp/

名だたる文豪が愛した名建築 起雲閣

熱海にはブルーノ・タウトが手掛けた「旧日向別邸(現在休館中)」など、数多くの名邸があることでも知られていますが、「起雲閣きうんかく」もそのひとつ。

縁側と座敷の段差を無くした入側造(いりかわづくり)。今でいうバリアフリーですね
ステンドグラスとタイルが美しいサンルーム

現在公開されている起雲閣は和館と洋館から成り立ちますが、実業家の内田信也が1919(大正8)年に実母の静養のために建てた別荘がもとになっています。
よく見ると極力段差を無くした造りをしており、車椅子で生活をしていた母に対する気遣いが随所に見受けられます。

2代目の所有者は「鉄道王」と呼ばれた初代・根津嘉一郎。根津美術館のコレクションを築いた人物でもありますね。
嘉一郎の時代になってから、和館に隣接した洋館が増築されました。アールデコ調のサンルームや、ローマ風浴室など、洋館好きにはたまらない内装です。部屋ごとに細かい工夫や装飾が成されているので、いくら見ても飽きません。


また、庭も嘉一郎手ずから作ったものだそう。作庭が好きだった嘉一郎は、忙しいなか時間を見つけては、足繁く熱海に通ったといいます。

太宰治が宿泊したといわれる部屋「大鳳」。青い壁は「青漆喰」と呼ばれる石川県加賀地方の伝統的な技法です。兵五郎が石川県の出身であったため、このような装飾が取り入れられたと言われています

起雲閣という名前は、3代目の所有者となる桜井兵五郎が、1947(昭和22)年に旅館を開業した際に名付けたものです。

熱海と言えば『金色夜叉』。尾崎紅葉の部屋もあります

志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫など著名な文豪たちに愛され、しばし執筆活動の場となりました。館内には文豪にちなんだ部屋があり、そこでゆかりの品を見ることもできます。
岩崎別荘、住友別荘と並び称される「熱海の三大別荘」の一つ、起雲閣。館内の喫茶室も優美ですが、駅までの道すがら三島由紀夫が愛した喫茶店「ボンネット」に寄ってみるのも一興です。

起雲閣
所在:〒413-0022 静岡県熱海市昭和町4-2
時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
料金:大人610円、高・中学生360円、小学生以下無料
休館日:毎週水曜日(祝日の場合は開館)、12月26日~30日

熱海の魅力を再発見する「ACAO des ART」

2021年に開催された「ATAMI ART GRANT」の会場風景

昨年(2021年)惜しまれながらも宿泊営業を終了したニューアカオ館。
その後開催された「ATAMI ART GRANT」というアートイベントでは、宿泊営業を終了したニューアカオ館も会場の一つとして選ばれました。

メインダイニング「錦」

若い世代にはなじみの薄かったニューアカオ館ですが、その豪奢で非日常的な空間はあっという間にSNSを中心に知れ渡り、展示内容と相まって多くの人が訪れたことでも話題となりました。
「これがニューアカオ館を見る最後のチャンスになるのかも……」
当時そういった声も多く聞かれましたが、朗報です! 2022年4月29日(金・祝)~5月8日(日)に開催される「ACAO OPEN RESIDENCE #6」にて、再びあの空間が展示会場として使用されます!

カレーを通じ、嗅覚や味覚などを使って食とアートを体験できる「エメラダ」のプログラム

前述のイベントは、熱海の魅力をアートで再発見することを目指したアートプロジェクト「PROJECT ATAMI」のプログラムのひとつ。
PROJECT ATAMIでは、ホテルに滞在して作品を制作する「ACAO ART RESIDENCE」と、アーティストをサポートする仕組み「ATAMI ART GRANT」を2本の柱として取り組んでいます。

『女体(NYOTAI)』Model: Aoi Yamada, Art Director: Midori Kawano

今回ゴールデン・ウィークに開催の「ACAO OPEN RESIDENCE #6」に合わせ、「ACAO des ART」というアートにまつわるさまざまなプログラムも企画されているそう。
五感に作用するリアルな体験を通じ、記憶に残るようなプロジェクトを目指しているとのことで、魅力的なパフォーマンスが期待されます。ぜひ公式ホームページをチェックしてみてください。

「ACAO des ART」
開催期間:2022年4月29日(金・祝)~5月8日(日)
※時間や場所はプログラムによって異なります。詳しくは公式ホームページをご確認ください。
https://projectatami.com/

温泉や景色を楽しむだけでなく、アートも充実している箱根・熱海エリア。
少し足を延ばせば、現代美術作家・杉本博司が設計した『小田原文化財団 江之浦測候所』にもアクセス可能です。
時間をかけて回ってもよし、足しげく通ってもよし。四季折々の楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。(ライター・虹)

昨年末、ニューアカオ館の写真が話題となった虹さんのツイート

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「気持ちよくさせないと帰さない」 違法営業で逮捕のメンズエステ経営者の「裏の顔」 JKリフレ、学生キャバクラを毎晩ハシゴし、セラピストには“秘密の講習”も…… - 文春オンライン

「奥田容疑者は有名な出禁客でした。店内の待機室には顔写真が貼られ、『奥田圭一に注意!』と本名で書かれていた。『仕事が終わったら車で送っていくよ』と言って、退勤後の女性キャストを口説いていたそうです」(池袋の繁華街関係者)

奥田容疑者が経営していたメンズエステが入るビル ©文藝春秋

 違法なメンズエステ店を経営したとして警視庁は6日、経営者の奥田圭一容疑者(54)を風営法違反(禁止地域営業)の疑いで逮捕したと発表した。奥田容疑者の本業は、フジテレビ系人気ドラマやNHKのドキュメンタリー番組に携わるCGディレクター。人気番組のCG処理などを担当してきた“やり手”だったという。(#1#2を読む)

日に2~3軒は“夜の店”をハシゴ

 同業者らは「一緒に飲みに行ったこともない」と口をそろえるが、裏では夜の店に毎晩1人で通い、散財する生活を送っていたようだ。前出の池袋の繁華街関係者が話す。

「奥田容疑者は180cmぐらいある高身長で、腹は出ていますがすらっとした体型でした。髪の毛を常に染めていて、若く見えましたね。顔はスナフキンに似ていて、50代にしてはカッコよくてお洒落。女の子がひっかかりやすい風貌だったと思います。毎晩6時頃、当時世田谷にあった自宅から車を運転して池袋まで来ていました。1日に2~3軒は“夜の店”をハシゴしていましたね。

奥田容疑者 読者提供

 最初にハマったのはJKリフレ。小遣いを渡して“禁止行為”をすることもあったと聞きます。よく女の子のブラジャーに1000円を突っ込む、ゴーゴーバーのような遊びもしていた。都の条例で女子高生が働けなくなった後は、高校の制服姿の若い娘がいる安キャバや、大学生専門キャバクラ、他のメンズエステにも通っていました。

 昔から『若ければ若いほど好き』という性癖でしたね。デリヘルなどの風俗嬢よりも、素人の方が好みだったようです。返信がなくてもメッセージを送りまくり、『女の子の態度が気に入らない』とよく悪態をついていました」

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