なぜ徳川家康は“ドケチ"で有名だったのか?
天下人の年収事情を紹介。写真は信長が本拠地にした岐阜城(写真:shonen/PIXTA)
戦国時代、武将の強さは資金力と比例していました。それを何よりも証明するのが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人の天下人たちが、日本史上最大規模の資産家だった事実です。
そうなると知りたくなるのが、彼らの年収です。しかし戦国時代の支配者に、総収入を公開する習慣はありませんでした。それに戦国大名の収入源は多岐にわたり、総収入の計算は実に複雑です。たとえば領内の鉱山から産出された金銀も大きな利益を生み出していましたが、これに関しては残念ながら正確なデータが存在していません。
今回はわかりやすさを最重要視し、3人の天下人たちが直接支配していた最大時の「直轄領」を中心に、彼らの強さの秘密である資金力について比較していこうと思います。
信長の“年収”はいくら?
最初に、信長の“年収”を計算していきましょう。“乱世の革命家”として知られる信長ですが、とくに経済面では革命的な決断の数々を行いました。自領内の関所を撤廃、市場でも商売にかかる税金を免除して「楽市・楽座」を開いています。
信長が経済に明るく、稼ぐことにこだわりがあったのは確かな一方、彼の直轄領の規模には定説がありません。信長研究の第一人者である谷口克広氏によると、信長の直轄領は(近親のぶんも含めて)150万石ほどだったそうです。実質的には100万石くらいという説もありますね。
直轄領からのもっとも大きな収入源は農民からの年貢米で、当時のルールでは、大名個人の懐に入るのはその6分の1だけでした。そうなると、17万〜25万石くらいが彼の取り分でしょうか。
戦国時代の貨幣価値については、現代円に換算するといくら、という“定説”はありません。そこで今回は、米の値段をもとに考えてみます。
1石は、当時の成人男性一人が1年間に食べる米の量(約150キロ)を指しました。現在では1キロあたり500円ほどで米を買えますが、戦国時代は稲の品種改良も進んでいないので収穫量が少なく、1キロ500円というわけにはいかなそうです。
便宜上、戦国時代の米を1キロ1000円と仮定したところ、1石=150キロの米=15万円、1万石=1500トンの米=15億円。つまり、信長は年貢米だけで255億〜375億円相当を稼いでいたことがわかります。
信長には、ほかにも大きな収入源がありました。彼が自身の直轄領に選んだ土地には、有名な金山・銀山が存在しています。産出量がはっきりとはしないものの、これも相当な利益をもたらしていたのは間違いありません。
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