パチンコを生業とするパチプロ。そのパチプロの中で最も有名な人物といえば、多くのパチンコファンが田山幸憲氏の名前を思い浮かべるだろう。
今から20年前に他界した田山氏は、東大中退という異色の経歴の持ち主。パチンコ必勝ガイドで長期に渡って連載を続けた伝説のパチプロで、亡くなった際には朝日新聞の社会面に死亡広告が掲載されたほど影響力を持ち合わせた人物でもあった。
それだけに、今でも田山氏について詳しく知りたい、エピソードを聞きたいというファンも多い。業界の重鎮・大崎一万発氏は、そんな要望に応えて自身のYouTubeチャンネル「まんぱつ」にて、田山氏との思い出を回想している。
大崎氏曰く、田山氏は「自分の人生観、独自の価値観を持たれていた」そうで、いかなる時でも「ブレずにパチプロをやっていた」とのこと。パチプロとは「食わしてもらっているはみ出し者」とし、「遠慮して生きていかなきゃいけない」といった謙虚なスタイルだったそうだ。
それ故、帰りに居酒屋で一杯飲めるほどの収支があがれば、常連客に台を譲っていたとのこと。「お金にガツガツしていなかった」そうで、そういった生き様も人々に愛された所以だと大崎氏は分析している。
また、田山氏は調整やクセ読みに長けていた一方で、経験値から導かれるパターン認識、言い換えるならば独自の「オカルト理論」も持ち合わせていた模様。ただ、連載ではそのオカルトが独特の言い回しで表現されており、それが「田山文学」と称される「一種の確立した田山語録」として、「今にも残っている」という。
内容の正しさや期待値計算の正確さなどで他誌と競い合うなか、パチンコ必勝ガイドが一目置かれていたのは、田山氏の連載があったから。大崎氏はそう考えていたそうで、田山氏の訃報を聞いた際、「一時代が終わった」とショックを受けると共に、「パチンコ必勝ガイドはどうなっちゃうんだろう」と不安になったことも告白している。
田山氏は「神格化しても何ら恥ずかしくない」存在。このように評する大崎氏は、田山氏と「同時代に生きて、同時代にパチンコ必勝ガイドを通じて交流を持てたことは凄い財産」と語り、田山氏の教えを守りながら「仕事とパチンコを楽しいでいきたい」とまとめている。
世界一有名とも言える田山氏。今後、こういったパチプロが現れることはあるのだろうか。
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