
誰よりも意欲に満ちていた82歳
世界一の富豪を宇宙に送り出すというのは驚くべき策であるし、商業宇宙旅行の幕開けは画期的な出来事である。だが、ウォリー・ファンクの参加それ自体が独特の意味をもつ。 多くのメディアで幾度も語られてきたように、ファンクは1960年に「マーキュリー13」のオリジナルメンバーとして、最初の女性宇宙飛行士となるべく訓練を受けていた。ところが、米航空宇宙局(NASA)がプログラムを打ち切ったのである。 このため、熟練パイロットで熱心な航空安全調査官だったファンクは、かなわなかった宇宙飛行の夢に、その後の60年ずっと執着してきた。2010年には、20万ドル(約2,200万円)を支払ってリチャード・ブランソンの「VSS Unity」の座席を確保し、10年以内にヴァージン・ギャラクティックの弾道飛行に参加できることを期待していた。 しかし、順番がなかなか回ってこなかったことで、ファンクはいら立ちを募らせていた。そんなとき突然、ベゾスが今回の「ニュー・シェパード」の座席を提供したのである。 このほど世界が知ることになったように、ファンクはこの宇宙飛行にやる気満々だった。80歳を超えるファンクは搭乗者のなかで最も意欲に燃え、準備万端だったと同乗者が繰り返し証言している。 そしてファンクの興奮は、映像を見ていたすべての人の目にも明らかだった。カプセル内でシートベルトを締めて打ち上げを待っている間など、多少の不安を抱くことが許されるときでさえ、ファンクは宇宙空間と大気圏の境界とされる「カーマン・ライン」を超える瞬間をワクワクしながら待ち望んでいた。「エネルギーが満ち溢れるように感じました」と、のちにファンクは振り返っている。 「6分間の遅延があったのですが、ファンクは『いったい何に手間どっているのか』といった表情でしたよ」と、ベゾスは言う。「『何をぐずぐずしているの。早く行きましょう』と、待ちきれない感じでしたね」 案の定、ニュー・シェパードが宇宙へと飛び立って65マイル(約104km)上空に到達すると、ファンクは座席から離れてクレイジーな体勢をとってみせた。「これは楽しいわ! 最高よ!」と叫びながら、ファンクは同乗者と共にダンスカンパニー「ピロボラス」のダンサーが体を絡み合わせるパフォーマンスのような動きをして、はしゃぎ回ったのである。 着陸後の記者会見では、ファンクは壇上に上がったときから、詰めかけた人々の注目を独り占めしていた。記者会見が開かれた場所はブルーオリジンの基地にある「バーン(納屋)」と呼ばれる施設で、ロケットの格納に十分な広さがあることを考慮すると大したものである。 会見後も、ほかのクルーメンバーのようにすぐ着席するのではなく、ステージの端に行って両手を広げ、サッカー選手のミーガン・ラピノーばりの大胆な勝利のジェスチャーをした。話す際は必ず立ち上がり、顔にマイクを近づけながら話したので、コメントが明瞭に伝わった。記者やクルーの友人、家族、そしてアラン・シェパードのふたりの娘など、記者会見に詰めかけた人々の目はファンクに釘付けだった。
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確かに
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