2編を収めた魅力的な小説集。孤独な登場人物たちが大都市の片隅で暮らす。行き場のない不安や確かなものをつかめない思いに耐えながら、今この時をそれなりに生き続ける。読みながら、静かに、けれど確かに元気づけられた。生きてさえいればいいよ、といわれている気持ちになったのだ。
本のほとんどを占める表題作は、大阪市の南端の街が舞台だ。主人公の「俺」は30代半ばのジャズ・ベーシスト。週末に北新地で肌を露出した女性ボーカルの伴奏をし、週に3回、難波の楽器屋で雇われ講師をして、細々と音楽で飯を食っている。
彼が知り合ったのは、この街のバーで働いている10歳年上の女性。2人は夜を万博公園で過ごしたり、夜中に焼き肉を食べたり、主人公の部屋で抱き合ったり、クジラの鳴き声を動画サイトで楽しんだりしながら、海の魚が波に揺られるように、街の中を漂っていく。
徐々に2人が抱えている悩みやわだかまりや思い出が浮き彫りになってくる。音楽の才能の壁。思うように演奏できていないのではないかと心配する自意識。ジャズ奏者をめぐる厳しい社会状況。過去に負った心の傷。家族のこと、故郷のこと。
会話が多用される。ダイアローグが物語の起伏を編んでいく。ニュアンスに富んだ大阪言葉だ。一つ一つの言葉に底堅い余韻があるといえばいいか。登場人物たちはさりげない言い方をしているのに、意外なほどに豊かさがある。2人とも犬や猫の話になると、口調に熱がこもるのが面白い。
2人とも優しい。相手に気を使い、思いやりながら、感情的にならず、あきらめと背中合わせの微笑を交わし合う。こんなに優しいと生きづらさを抱えることにもなるのではないかと心配になる。
小説が元日の未明のコンビニで終わるのがいい。イートインで肉まんとピザまんを食べようとしている2人は、新しい年をどう過ごすのだろうか。それは食べてから考えればいい。私はそんなふうに思ったのだ。
タイトルのリリアンとは、ひもを編む手芸のことをさしているようだ。この小説全編にその単調な行為のリズムがベースの奏でる音のように響いている。(新潮社・1815円)
評・重里徹也(聖徳大学教授・文芸評論家)
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確かに
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