1月7日、1都3県に緊急事態宣言が出された。明けて8日の新聞各社は、通勤者が大して減っていないことを報じていた。
ところがこの報道で使われた写真について、望遠レンズの圧縮効果を狙った「演出」であるという非難がTwitterで上がってきた。
確かに望遠レンズで撮影すれば、いわゆるパース感がなくなって平面的になるので、縦方向に長い距離にあるものを、1枚の画像の中に入れ込むことができる。
こうした撮影方法に対する批判に、新聞社のカメラマンが反論記事を書いたことで、より反発が強まっている。
筆者はこの騒動に、何かしっくりこないものを感じている。今回はそのしっくりこないのは何かを考えてみる。
この記事について
この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年2月1日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。
カメラマンの責任?
毎日新聞のカメラマンの寄稿を見て、おやと思った部分がある。引用する。
この時は結局、9枚の写真を使ったウェブ記事にすることになり、両方の写真を載せることができた。しかし、新聞紙面では1枚しか使わないことがほとんどだ。どちらか選べと言われたら、相当悩んだだろう。
このことから、記事に掲載する写真はカメラマンが選んでいるということが推察できる。筆者は報道経験がそれなりに長いが、テレビ報道しか経験しておらず、紙の報道経験がない。紙の報道では、記事に掲載する写真はカメラマンが選ぶのかという、素朴な驚きがあった。
テレビの報道では、編集にカメラマンは立ち合わないので、どのカットをどのように使うのかは編集者が決める。もちろん取材にはディレクターや記者が一緒に行っており、彼ら彼女らは映像に合わせてナレーション原稿を書かなければならないので編集にも立ち会うのだが、どのカットを使うかまでは指示しない。
紙の報道ではカメラマンが掲載写真を選ぶとしたら、本文を書いている記者とはどういう打ち合わせになっているのだろうか。現場での取材時では、どういう内容になるのかはざっくりしか決まってないので、いろんな写真を撮影しているはずだ。記事を書くのは記者であり、当然記事が書き上がってからそこに写真を当てることになる。
そうなると、本文に則した、あるいは分かりやすい写真を選ぶというのは当然だ。その分かりやすい写真を選んだことが演出である、という非難になるのだろうか。
では報道においては、演出はあってはならないのだろうか。限られたスペース、限られた尺の中で何かを表現する以上は、何らかの取捨選択が行われる。その過程で伝えたい内容を象徴する映像や写真を選択する以上、そこには演出的要素が発生するのは避けられない。何も象徴しない、一番ダメなカットを選ぶという選択肢はないわけだ。
しかしそれは、事実とは違うことを報じたことになるのだろうか。例えばエキストラを使って人がたくさん集まってる様子を作って撮影したのなら、それはヤラセであり、報道ではない。しかしそこに自然に存在している人の流れをどのレンズで撮影したか、そうした方法論が非難されるというのは、何かおかしい気がする。
事実と根底に流れる感情の差
今回のこうした非難の根元は、「緊急事態宣言が出されても人出が減るはずはない」という、結論ありきの記事ではないのか、という疑惑なのではないだろうか。
記事を読んでも、何らかの客観的調査が元になっているわけではなく、あくまでも体感的なものが主体となっている。電車を見て、人がいっぱい乗っていたので「いっぱいだった」と書いたにすぎない。取材に応じた一般人の反応も、体感的なものである。
行政の施作通りに人が動いていない、宣言は失敗なのではないか。記事の背景には、そうした政治的失策を指摘する意図も感じられなくもない。記事に反発する人たちは、そうしたところを敏感に感じ取っているのかもしれない。
実際に人が減ってるのか減ってないのか、その事実に関しては、なんらかの根拠がないと判断のしようがない。そこでAgoopが無償で公開している「新型コロナウイルス拡散における人流変化の解析」のデータを見てみよう。
Togetterでまとめられている報道現場は品川駅だそうなので、1月8日の品川駅のデータを見てみる。前日の人出から比較すると、8日の段階では多少減っていはいるものの、本格的に1万人単位で人が減り始めるのは、翌週に入ってからである。
品川にはNTTデータをはじめソニー、キヤノン、ニコンなどITに強い会社がそこそこあるが、宣言が出されて翌日からすぐにリモートに変われる業務は少ないだろう。人が集まりやすいからその立地に会社を構えているわけであり、人が集まって何かする業務がその建屋に集中しているということだからだ。
その週いっぱいはシフトを決めたり仕事の段取りを決めたりお客さんに連絡したりといった業務があるだろうから、すぐに出勤者は減らず、本格的に減るのは翌週に入ってからというのはデータからも分かる。
写真から得られる印象というのは、個人差がある。約6万人の通勤客を望遠レンズで撮影した品川駅のショットを見て、事実が歪曲されるほど大げさに見えるという人もいるだろうし、6万人ならこんなもんじゃないのと思う人もいるだろう。
しっくりこない原因を考えてきたのだが、必要以上に大袈裟に見えると感じた人がいた、だがその非難の矛先がカメラマンの撮影方法に向けられたところに、報道の現場を知る筆者には違和感がある。
確かに現場で一番目立つのはカメラマンだ。高いところに立ち、でかいレンズを向けていれば多くの人の目に触れる。彼らが報道を作っているかのような錯覚を受けるだろう。だが実際に報道の中身を作るのは、現場記者である。記事のアウトプットの責任は記者が負い、さらに言えばその文章と写真の組み合わせで掲載のGoを出した編集長が負う。
だから非難に対して、カメラマンの反論記事が掲載されたことにも違和感がある。報道における写真の責任みたいな話にすり替わっているのだが、本質は報道と演出の関係を、そのメディアとしてはどのようにバランスしているかではないだろうか。
その点については、どこが正解というのはないはずだ。そもそもバランスはメディアの性格によっても変わるし、報じる内容でも変わる。メディアとして一つの筋、というのは、大義名分としては存在してないと困るのだが、実際には各記者にも表現としての制限はあるし、それを認めていかなければメディアとしては終わる。
バランスは、幅があるものなのだ。そうした見解を、編集責任者が出すのは分かる。だが、カメラマンひとりがその責任を負うのは違うだろう。
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確かに
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