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Friday, April 3, 2020

動物とセックスしたら確かに失礼でも許せる~『セロトニン』|夜のオネエサン@文化系|鈴木涼美 - gentosha.jp

『セロトニン』ミシェル・ウエルベック著
関口涼子訳(河出書房新社)

新型ウイルスはなかなかその全容を見せてはくれないし、政治家の記者会見はさらに要領を得ないし、外出はなるべくしないでと言われるし、普段は月の3分の1の時間を費やす国外へはいよいよ行けないし、志村けんはいなくなるし、喫茶店はいっせいに禁煙になるし、先週来たはずの春が踵を返してどこかに行っちゃって寒いし、雨だし、エイプリルフールだし、こういう日は悲観以外に差し迫ってすることはない。

 

当然、もともとネガティブでペシミスティクな私としては、通常のワタシがやや誇張された形になるだけなので、別に大幅なキャラ変更を余儀なくされることもないし、いつものワタシが侵害を受けるわけでもないので、従来通り健康を害するウイルスを呪い、自民党を呪い、権力と健康オタクと悪天候を呪って、呪詛な日々を楽しく生きている。

家の中も結構楽しい。ロッテントマトが選ぶ映画ランキング100を、以前観た観てないに限らず1から全部観るとか、すずみが選ぶヤンキー漫画ベスト10を1から全部読むとか、鏡台の鏡が見えないほど積み上がった化粧品を仕分けて捨てるとか、1日中数独をやるとか、ごくたまに机に向かって仕事をするとか、割と忙しく、呪詛な割には忘れっぽく、今朝自分がどんな呪いとともに起きたか、ということも思いっきり忘れているので、基本的に肌ツヤに問題があるほどストレスは溜まらないし、クラーク・ゲーブルとも若い頃限定のマーロン・ブランドともヘンリー・ゴールディングとも勿論アル・パチーノとも妄想の中では何度も愛し合ってるし、そのことについて彼らが私を裁く法律は今のところない。

で、こういうタイミングで改めて村上春樹なんて読んでいるのはシニカルが相当面倒臭い方向に曲がったタイプの男だと思うし、そういう日常的なメールでもいちいち面倒臭い言い回しを好む男はセックスの言い訳も自己中心的な性格の言い訳もくどいので付き合うのはあまりお勧めしないが、シニカルが軽快な方向を向いた淑女の皆様的に、ウエルベックを読むというのは結構良いアイデアだと思う。しかも、昨秋日本語版が出た『セロトニン』では冒頭から禁煙ムーヴメントに関する呪詛に溢れているので、尚更この4月にはぴったりの選択である。

ちなみに冒頭の一節にある一文はこんな感じ。「ニコチンは完璧なドラッグだ、悦楽をもたらしはせず、タバコが切れたと身体が感じた時、その要求を満たしてくれる、ただそれだけのシンプルでしぶといドラッグなのだ」。これまた序盤でホテルで勝手にタバコに火をつける箇所の一文はこういう具合。「どちらにしても誰も気にしていない国際的な観光のルールに遅ればせながら形式上従っているに過ぎないのだ、それはアメリカ人の客を慮ってのことにしても、彼らはヨーロッパまでは来ないし、パラドールにはもっと来ないだろう。――中略――今ヨーロッパの観光業界はもっと粗野な新興国に目を向けるべき時期で、彼らにとっては肺癌など取るに足りない不具合の象徴に過ぎず――」。

米国推しの日本でにこるんニコチンについて(にこるんについてならまだしも)こうも開き直った物言いをする人はなかなかいないし、かといってただでさえウイルスのシチュエーションにおいて苦境を強いられている喫茶店やバーにとって、4/1の健康増進法は呪詛の対象でしかないので、自分らより激しく世界を呪詛ってるウエルベック小説の主人公たちの言葉を浴びた方がいいのだ。

喫煙のハナシは私も含めた今どき稀に見るスモーカーな人たち以外にそれほど刺さらないと思うし、グローバライゼーションや欧州の現状や仏が早い段階から受け入れてきたムスリムの問題などをクリティカルに描いてきたウエルベック評を長々と書く気もないのだけど(私は今おすすめマフィア映画50を1から観るのに忙しい)、強いて言えば危機的状況にある仏農業の惨状を描いた『セロトニン』は、とある理由から「蒸発者」になることを決めた、相変わらず偏見まみれでクズっぽい男が主人公のハナシなので、蒸発するにはもってこいのリモートワークな現状で読むのはやっぱり良い選択ではある。

そしてウエルベックの小説はどれも脱線と前置きと言い訳を繰り返して一文が無駄に長いので、膨大な時間をゆっくり潰す、という意味でも自宅謹慎中の世界民に向いている。そもそもフランスの作家って回りくどくて比喩が長い傾向があると思うけど、ウエルベックのそれは難解さとか退屈さとは無縁なので私は存命の仏作家の中では抜群に好きだったりもする。

さて私のハナシは、本作のキーパーソンの一人である主人公の直近の恋人ユズについての一文についてである。偏見に悪びれもしない主人公は、「端的に言えばぼくが金を持っていることがユズの関係をすべて言い尽くしていた」とか、絵を描いたと言ってもいいほど顔面を塗りたくってる彼女について「生気のない肌(イヴ・シモンズ的に言えば磁器のような肌)は日本人には品位の極致と考えられている」とか、「日本人は顔を赤らめない、精神構造上は存在しているが、結果はむしろ黄土色がかった顔になる」とか話し、彼女が所構わずスマホをいじることしかせず、自分の荷物も運ばずに化粧を直し、高級ホテルについても来飽きたような顔をして、教養や品位を持っているようなふりはするが憧れているに過ぎないことを呪いの如く回想する(でもセックスはうまくてアナルもいける)。そして嫌味たっぷりに「ぼくのようなガイジンは、日本人女性と同居させていただくだけでとてつもなく光栄だと感じるべきだった」なんて言う。

日本人女としてはユズに対して若干、アンタはずかしいから顔塗りたくりすぎないでよとかも思うが、主人公の偏見の参考になったであろう日本人女を想像するのはそんなに難しいことでもないのは不思議だ。そして極め付けにこんな一文がある。「日本人女性にとって(ぼくがこの民族の精神性を観察したところでは)西欧人と寝るのは、すでに動物と性交するようなものなのだと認めざるを得なかった」。ちなみにこの主人公はナマ好き、吉原風に言えばNS主義、娼婦好き、しかも自分の恋人は娼婦向きだけど娼婦の才能はないとか言う、できれば寝たくないオトコでもある。

さて、本筋とはいまいちリンクしないが、日本人女にとって白人とのセックスが動物と寝るのと近しい、と言う時、近しいとは何のことだろうと引っかかり、そういえば昔から日本には外専とか言われる、白人とのセックスをライフワークにしている女集団がいることについても考えていた。ちなみに私にそのケがないわけではなく、特に30歳を過ぎてからは、相対的にロリコンが多い自国男子よりも、比較的年増好きが多い西欧人と懇意にしてきた。

たしか岡崎京子の漫画に、日本の男はレディファーストができないとか文句つけるような、フランス人とかと付き合ってる女ってさー、絶対日本でモテなかっただけだよねと言うような会話が出てくるのだが、私の場合は少なくとも本当にそうで、新聞社を辞めてウィキペディアで簡単に自分の経歴が検索されるようになってからは、単純に突然デート相手が音信不通になるような惨事は結構多く、日本語で検索をしない人とのデートは貴重なのだ。

日本を単一民族だとか言った政治家の発言が象徴的だが、たしかに社会に自分とまったく違う姿形の人種が少なく、ハーフというだけで称賛あるいはいじめの対象となるようなこの極東の島国で、まったくの東洋風の顔立ちで育てば、白人の男はある意味、犬や猫と同じくらい異物ではある。加えて教育行政の失敗により言語的なバイアスは通常より大きく、人口が多いという理由で最近まで自国内で経済が回りやすく、移民やつい最近まで観光客にまで冷たかった国では、手を振り回せば大抵黄色で黒髪の男に当たるので、白人とセックスする確率はそんなに多くない。

ただ、ウエルベックも頭を抱えるほどグローバライズした現代において一応日本にも少なくない外国籍、別人種の男がいて、確率として低くともそれらと恋に落ちる可能性はある。ただ、外専集団というのはそういう愛した男が白人だった、それだけ的なメンタリティではおらず、最初から手を振り回して当たる黄色い男を無視して、かつては基地周辺の米国人を中心とした外国籍の男を探し出す。

ユズにも少なからずそういうところがあるに違いないが、そこで動物とのセックスに近い行為というのはどう解釈するのか。私は彼女たちを、靴は絶対仏ブランド! とか、ドレスはイタリア製しか着ない! とかいったブランド趣味に似たもので片付けてきたのだが、というか男というのは連れて歩くという意味では靴やドレスよりさらに目立つので、そういうブランドなこだわりは絶対あるとも思うのだけど、そういった趣味と動物セックスは簡単には結びつかない。

私は別にペットを飼う趣味はないが、この自宅軟禁状態の現状において、「男と同棲してたら喧嘩とかしそうだしイライラするだろうけど、猫ちゃんとのおうちライフサイコーだよ」と言っていた友人などはいる。米ドラマの「セックス・アンド・ザ・シティ」でも、男にうんざりした女が犬なら裏切らないしおかしな要求もしてこないといって犬を飼いだすエピソードがあったし、孤独を埋め、しかし人間と暮らす際にある厄介事や苛立ちとは無縁でいられるという点に、女とペットとの関係の一部はあるように思える。

そういえば私は以前、気のおけないごく内輪の女友達と、日比谷シャンテ1階のパン屋併設のコーヒースタンドで話していた時に、「日本の男とだと多分そこで喧嘩になるか、こっちが一方的に腹立つんだよね」と脇の甘い発言をしたことがある。当時、確かものすごくヒスパニック訛りの米国人と何度か遊びに行っていたのだけど、おそらく彼とは結構な価値観の違いや、彼による私の仕事への誤解があって、しかし彼が米国籍でスペイン系ファミリーという、極東の島国とはあまり関係がないように見える男だから、それほど深刻な問題に発展しない、という趣旨のことを話したかったのだと思う。

半分はコトバの問題であるに違いない。私は英語が流暢なフリをするのはうまいが、実際ゴリゴリのニューヨーク出身でしかも思いっきりスペイン訛りの彼と長い話をするといまいち何言ってるかわかんないというか、細かい嫌味の機微とか、スコセッシのイタリア系米国人同士の会話でいうところのうまい返しとか、そういったところは汲んでないので、全体としてふわっとした理解しかしておらず、実は結構酷いことを思われていても、あまり気づかずに済んでいる可能性は高い。それは彼の方もそうで、私が得意の日本語で自分の思想を余すことなく伝えた場合に、ウィキペディアを調べた日本語男より早い速度で去っていったかもしれない。

しかしもう半分は、猫ちゃんと暮らす友人が、もし男が居間の真ん中でゲロったり、彼女の服を悪意や理由もなくビリビリにしたり、ネズミやヤモリなどのいらないプレゼントをドヤ顔で持ってきたりしたら腹が立つが、猫だったら許せるとするのと似たような精神構造があったことも否定できない。人は人間同士の場合には批判とプチギレを繰り返して時間を浪費するけど、犬などと暮らしている場合には思い通りにならないことがあっても、別の生き物だからしょうがないよね、彼には悪気がないんだもの、と仏の心を発揮する。

それは本来人間同士でも存分に発揮すべき心ではあるのだが、同じ赤い実はじけたとか同じ坊っちゃんとか同じちいちゃんのかげおくりとか同じ漱石とか読んで育ったのにそんな思考をするなんて許せない、と不寛容になりがちである。

本来であれば日本人とヒスパニックニューヨーカーが違うくらいには、男と女は違うし、佐藤くんと鈴木くんも違うし、会社員と美容師も違うのだけど、いかんせん真っ黒な髪の毛が目眩(くらま)しとなって、それを忘れさせるのだ。まあそれでも多くの人はプチギレしながらもその不寛容同士の暮らしに身を置くが、外専集団は、それができないほど輪をかけて不寛容であるか、あるいはプチギレの生活に疲れ切っているか、という点で、動物に走るペット好き女とやや近しい精神構造があるとも言える。

ただここまで日本という島国という場所に限定して話してきたし、ウエルベックの主人公もまたそういった偏見を持っていたのだが、昔それはまたニューヨークの大学を出たいかにもワスプな知人女性が日本人の男と付き合って、「ニューヨークにいた大学の時に一回包茎のおちんちんを見て無理と思ったけど、なんか日本人の包茎は許せる」と言っていたので、どうも日本に限ったことではないような気もする。

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