京セラを電子部品の製造などで一代で世界的な企業に成長させ、経営破綻した日本航空の会長として再建に尽力した京セラの稲盛和夫名誉会長が今月24日、京都市内の自宅で老衰のため亡くなりました。
90歳でした。
稲盛和夫氏は鹿児島市で生まれ、1959年に京都セラミック、今の京セラを設立しました。
みずから開発した工業製品向けのファインセラミックスの技術をもとに事業を拡大し、一代で世界的な企業に成長させました。
稲盛氏は独特の経営手法として会社の組織を「アメーバ」と呼ぶ数人ずつの集団に分け、それぞれが事業の計画や目標を立てることで部門ごとの採算を高めたり、社員のやる気を引き出したりする「アメーバ経営」という手法を生み出しました。
また1984年には通信の自由化の流れを受けて電電公社、今のNTTに対抗するため第二電電=DDIを設立し、2000年にKDDなどと合併して今のKDDIになりました。
さらに2010年には経営破綻した日本航空の会長に当時の民主党政権から求められて就任し、赤字路線からの撤退や1万6000人に上る人員削減などに踏み切りました。
そして、社員に対して採算性の意識を徹底して持たせることで再建を実現し、破綻から2年8か月という異例の早さで東京証券取引所への株式の再上場につなげるなど、経営手腕を発揮しました。
故・松下幸之助と並び、「経営の神様」と評する声も多く、その人生哲学や経営哲学を学ぶための勉強会、「盛和塾」には、世界各国からおよそ1万5000人の塾生が参加するまでになっていました。
ただ、盛和塾の活動は稲盛氏の高齢を理由に2019年に終了していました。
稲盛氏は今月24日、京都市内の自宅で老衰のため亡くなりました。
90歳でした。
【母校 鹿児島大学では】
稲盛和夫名誉会長の死去の知らせを受けて、出身校の鹿児島大学では学生からも悼む声が聞かれました。
稲盛さんは鹿児島大学の工学部出身で、「稲盛会館」を寄贈するなど大学教育や国際交流に尽くした功績をたたえて、大学の敷地内には銅像が建てられています。
死去の知らせを受けて学生や卒業生からも悼む声が聞かれ、このうち教育学部で学ぶ1年生の女子学生は「授業でも稲盛さんの話を聞いたりするので、亡くなったと聞いて驚きました。稲盛さんのような立派な方になれるように勉学などに励んでいきたいです」と話していました。
そしてみずからも鹿児島大学の卒業生のこの学生の母親も、「鹿児島大学にも寄付や寄贈などさまざまな貢献をしてくださりました。尊敬できる方だったのでとても残念です」と話していました。
また稲盛さんと同じ工学部の4年生の男子学生は「鹿児島大学の象徴となるような方で、大きな影響を与えた存在がなくなったのは悲しいです」と話していました。
【稲盛さんと鹿児島】
稲盛さんは1932年、現在の鹿児島市城西で生まれました。
鹿児島市にある西田小学校を卒業し、戦時中の1945年には空襲で実家を焼失します。
その後、現在の鹿児島玉龍高校を経て1955年に鹿児島大学工学部を卒業し、1959年に京都セラミック、今の京セラを設立しました。
活動の中心を京都へ移したあとも、故郷・鹿児島との関わりを持ち続けます。
1969年には鹿児島川内工場を、1972年には鹿児島国分工場を作りました。
1999年に鹿児島大学の名誉博士になると、2004年には成績が優秀な学生を表彰する「稲盛賞」が設けられ、卒業式で賞状や薩摩切子のちょこを受賞した18人に贈りました。
また、2005年には、西田小学校の創立130周年に合わせて講演し、児童と一緒に給食も食べました。
2015年に鹿児島県の県民栄誉表彰と鹿児島市から市民栄誉賞が贈られ、2017年には鹿児島大学に銅像が建てられました。
私財をなげうって人材育成にも取り組みました。
2018年に鹿児島大学へ稲盛記念館を寄付したほか、2020年にはかごしま国際交流センター建設のため県と鹿児島市に20億円を寄付します。
常に、故郷・鹿児島に貢献するための活動を続けた稲盛さんは、2019年、87歳のときに社会の発展にこの上ない功績を残し、県民が誇りとして敬愛する人に県が贈る初の名誉県民となりました。
【塩田知事は】
鹿児島県の塩田知事は、京セラの稲盛和夫名誉会長がが亡くなったことを受けて県庁で記者団の取材に応じ、「県内での工場立地で鹿児島県の雇用の創出に多大な尽力をいただいたほか、国際交流の発展のために多額の寄付も頂き、いろんな形で貢献いただいた。このたびの訃報は大変残念ですが、生前のご功績に敬意を表し、心からご冥福をお祈りしたい」と述べました。
【森博幸 前鹿児島市長は】
京セラの稲盛和夫名誉会長が亡くなったことについて、稲盛さんと親交のあった鹿児島市の森博幸前市長は「まだまだ長生きされて世界のために活躍されると思っていたので、お亡くなりになったことが信じられない。県民にとっても大きな財産を失うことになる」と述べ、突然の死を惜しんでいました。
また、市長在任時のおととし、国際交流の拠点となる「かごしま国際交流センター」が稲盛さんの寄付を受けて完成したことに触れ、「稲盛さんが、『県民のために役に立てることがあれば協力したい』とおっしゃったので、『国際交流会館をつくりたい』と言ったら、20億円の寄付を頂いた。大学や高校にも私財をなげうってくださって、郷土愛にあふれた方でした。温かい志に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げたい」と話していました。
【霧島市長は】
稲盛名誉会長が亡くなったことを受けて、市内に京セラの2つの工場とホテルがある霧島市の中重真一市長は「まだまだ、これからもご活躍されると思っていたので、訃報を聞いて本当に残念に思っています。稲盛名誉会長のお力添えにより霧島市や霧島市の工業が発展してきました。これまでのご功績に心から感謝を申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」と話していました。
【鹿児島市 天文館では】
鹿児島市の天文館では、京セラの稲盛和夫名誉会長が亡くなったことを知らせる新聞の号外が配られ、買い物客が驚いた様子で受け取っていました。
70代の男性会社員は「鹿児島にとっては大きな存在で惜しい人が亡くなったと思います。やすらかにお眠りください、とだけ言いたいです」と話していました。
80代の女性は「経済面などいろいろな方面で、鹿児島の有名な立派な方だったので残念です。昔の人は辛抱強いからこれだけ成功したのだと思います」と話していました。
からの記事と詳細 ( 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏死去|NHK 鹿児島県のニュース - nhk.or.jp )
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