(CNN) 多くの人や車が行き交う英首都ロンドンのピカデリー線の地下約22メートルの所に、静まり返った通路と真っ暗な部屋がある。ここは人目に触れることはめったになく、人が訪れることもほとんどないが、20世紀の歴史において重要な役割を果たした場所だった。
そして今、この廃駅となった地下鉄ダウン・ストリート駅に潜入し、懐中電灯の明かりを頼りに、地下壕(ごう)を探索できるチャンスが再び巡ってきた。この地下壕では、第2次世界大戦中に「Dデー」上陸作戦やダンケルクからの脱出作戦などの話し合いが行われた。
英国のウィンストン・チャーチル首相(当時)は、ドイツ軍による大規模な空襲、通称「ザ・ブリッツ」が最も激しかった1940年11月から12月にかけて、ここに秘密裏に避難し、40人のスタッフが昼夜を問わず戦争のために働いた。
「チャーチル・ウォー・ルーム」として有名な、英国政府の司令部であった内閣戦時執務室は、帝国戦争博物館の一施設として公開されているが、ダウン・ストリート駅内のツアーが行われることはまれだ。
理想的な地下壕
ガイドを務める歴史家のシディー・ホロウェイ氏は、ダウン・ストリート駅がある建物の地上階で取材班を迎えてくれた。この建物の正面は建築家レスリー・グリーン氏による赤褐色のタイルが貼られたアーチが特徴的で、そのデザインはグリーン氏が20世紀初頭に設計を手掛けたコベント・ガーデン駅やラッセル・スクエア駅などの有名な地下鉄駅と同じだった。
ダウン・ストリート駅は1907年に開業し、ピカデリー線に乗り入れていたが、32年にはすでに廃止された。駅は高級住宅地メイフェア地区の中心部に位置し、現在の地下鉄ハイド・パーク・コーナー駅やグリーン・パーク駅から歩いてすぐの場所にあったが、あまり使われていなかった。また地下深くにあったため、交通量の多いピカデリー大通りの下を通る長い通路もあった。
駅は7年間使用されていなかったが、ホロウェイ氏は「駅として機能しなくなった全ての要素が、第2次世界大戦中の秘密の地下壕においては完璧なものとなった」と説明する。
39年に戦争が始まると、ダウン・ストリート駅は数日内に鉄道執行委員会(REC)の新本部に改装された。RECは戦争省と英国の鉄道会社との間の仲介役を務め、戦いにおける軍隊、馬、装備の移動に欠かせない存在となった。
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