
15日に日本武道館(東京都千代田区)で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で、遺族を代表し、兵庫県丹波市の柿原啓志(ひろし)さん(85)が追悼の辞を述べた。「私たち遺族が、国のために戦場に赴き、無念にも散華された戦没者のことを忘れることはない。歳月が過ぎ、時代の名前が変わり、多くの人々の心の中に戦争というものへの意識が薄れゆく今日であっても、私たちは失った家族の面影を求め、思いをはせている」と出征先の中国で病死した父への思いを込めた。 養蚕農家で、冬は丹波杜氏(とうじ)の一員として酒造会社に出稼ぎに出た父輝治さんと暮らしたのは8歳まで。バス停で待っていた柿原さんの手の上に、兜(かぶと)や刀の玩具をのせてくれたことを覚えている。輝治さんは1944年4月、補充兵を訓練するための教育召集に赴き、同10月に中国の湖南省長沙市付近で病死した。35歳だった。 父亡き後、母を助けなければいけない、と無我夢中で働いた。小学生から牛をひいて水田を耕した。高校を卒業して養蚕農家を継ぎ、宴会でふと「おやじはどんなふうに酒を飲んでいたのかな」と思いをはせた。 約20年前、中国の長沙市を訪れた。飛行機の窓越しに眼下を見渡すと、沼や森が広がり、「こんなところで亡くなったのか」と涙がこぼれたという。遺族代表を引き受けたのは「みんなに、(父を亡くした)自分と同じ思いはさせたくない」との思いからだ。遺族たちが高齢化する中、「遺族会の活動への理解を進め、平和な世の中になるよう会の運動を続けていきたい」との思いも込める。 追悼式では「今日の平和と繁栄は尊い犠牲の上に築かれ、その犠牲として亡くなった人々は、今の日本に暮らす人々と同じように、ごく普通の生活を過ごしていた人たちであったことを、確かな人生がその一人一人にあったことに、どうか気が付いてほしい。命が無残にも途中で消えてしまった、国の礎となった人たちに、感謝の心を寄せてほしい」と願い、戦没者に祈りをささげた。遺族代表として「次世代へと、遺族の思いをつなげていくために私たちは力をあわせ、平和の大切さを伝えようとしている。平和の大切さを確かに次世代へと継承するために、これからも一層努める」と不戦の誓いを新たにした。【井上元宏、矢澤秀範】
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確かに
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