伝家の宝刀に通じる一台
わが家の近くには北野天満宮がある。今では菅原道真公にちなみ学問の神様としてよく知られている。けれどもその昔は天神信仰から武家の神様でもあった。それゆえ当宮の宝物殿には戦国武将らによる日本刀が多数奉納されており、なかでも昨今の刀剣アニメブームで話題となった一振りが最も重要な宝刀として大切に展示されている。
その名も“髭切(ひげきり)”。またの名を“鬼切丸”。この刀について名前の由来など興味のある方はどうかご自身でお調べいただきたいが、ここではこの髭切が源家、なかでも河内源家に伝わる“伝家の宝刀”であったことだけを記しておく。
実はこの髭切とセットとなる太刀があって、そちらは現在、大徳寺が所有しており“膝丸”もしくは“薄緑”と呼ばれている。そんな“髭切”と“膝丸”のセットは源家重代の名刀として受け継がれてきた。諸説はあるものの、鎌倉幕府を開いた源頼朝もまたこの二振りを掲げたという。
この二刀がこの夏、北野天満宮で相そろった。そこでさまざまなメディアで解説が行われていたのだが、それを見ながらふと、カウンタックによるランボルギーニ史観を語るに最もわかりやすいたとえを思いついたのだった。
カウンタック(正確にはクーンタッチもしくはクーンタッシ。クンタッチと呼ぶことが正式には推奨されている)とまるで関係のない話から始めたことをご容赦願って、もう少しだけ刀の話にお付き合い願いたい。
清和源氏の一流で多田源氏を立てた源満仲が平安時代に作らせたのが、先の二刀だった。以来、満仲の三男頼信による河内源家の家宝として今に伝えられているのだが、注目したいのは満仲が作らせた刀がそのまま残っているわけではないこと。要するに刀そのものは途中で幾度となく作り直されている。つまりレプリカだ。しかし、それでもなおその刀は“本物”として今に伝えられている。なぜならその価値は刀そのもののみにあるのではなく、刀に込められた源家重代の念にもあったと考えられてきたからだ。そのため作り替えられるたびに新たな刀には念が込められた。これを憑代(よりしろ)という。そう、大事な物に精神が宿るという憑神(つきがみ)様と同じ考え方である。
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からの記事と詳細 ( これは確かに「カウンタック」だ! 衝撃の復刻作「LPI800-4」は正当な後継モデルとなぜ言える? - webCG )
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確かに
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