
とんでもない親だと誰もが彼女を批判した。90年代アイドルが男に依存して産んだ結果ろくな子育てもできていないと。しかし、「とんでもない親」が実は彼女ではなく、彼女の両親であったことが2010年代に入ってから明らかになってきた。ブリトニーが立ち向かってきた毒を#FreeBritneyが叫ばれる今、あまりにも知られ過ぎている、父ジェイミーとその親、そして彼と妻リンとの毒に満ちた関係を、今改めて振り返る。
父の幼少期のトラウマ
ジェームズ・パーネル・スピアーズ。「ブリトニー・スピアーズのマネージャー」として世界的に有名になった彼が、それ以前に何を生業にしてきたのかはっきりしない。1952年にルイジアナのケントウッドで、労働者階級の過程に生まれ育つ。10代が終わるか終わらないかの時期に最初の結婚。22歳で薬物で逮捕。2年後に離婚するとすぐに21歳のリン・ブリッジスと出会い、しばらくして二回目の結婚。ブライアンとブリトニーを授かる。その後は妻が教師や託児施設運営などで生計を立て、娘ブリトニーには8歳から仕事をさせているため、自分の職業を見つける時間も必要もなかったのかもしれない。 しかし、彼の“自由業”の実態を探るより、彼が妻にした暴力を明らかにしたほうが彼の実態がはるかによく理解できる。 (写真)ブリトニーの母リンと父ジェイミー。2004年
結婚以前から薬物とアルコールの依存症を患っていたジェイミーは、妻に肉体的暴力をふるうだけでなく、精神的に支配した。たまらずリンは離婚するため1980年に準備を始めたが、離婚調停を始めた際の彼のハラスメントや攻撃を恐れ、結局諦めてしまった。その直後にブリトニーは生まれたのだが、ジェイミーの基本的な執着と所有意識は変わることなく続いた。女性へのこの執拗な支配欲は、母親との悲劇的な別れがあると見る人もいる。 (写真)2008年NYにて。父ジェイミー
ジェイミーは13歳のとき、母を失くしている。幼い弟の死を嘆いてその墓前で自殺したのだ。母の突然の死。しかも生きている自分より後に生まれた弟の死のため命を絶った。自分を選んでくれなかったことは相当のショックだったと想像できる。しかも17の時には自動車事故に遭い、自分以外同乗していた同級生すべてが亡くなる悲劇も経験する。目の前で近しい人間の命が失われていく経験を経て、結婚相手にすべての救いを託していたかもしれないし、ただ単に南部のマチズモの結果なのかはわからないが、彼の女性への執着は激しかった。 しかしその執着は女性その人ではなかった。ジェイミーが執着していたのは女性が携えてくる“メリット”に他ならない。幼くして働き始めたブリトニーの事務所ジャイブのキム・ケイマンは当時を振り返ってこう証言している。 「母のリンは個人的にも家族のためにもブリトニーがスターになるために必要なことは何でもする! といった感じだった。しかしジェイミーには滅多に会うことはなく、彼が私にかけた言葉といえば『娘が金を稼いだら、ボートを買ってもらおう』。これだけでした」 (写真)2003年、10歳下の妹ジェイミー・リンと。親が売り出そうと目論んだ妹のデビューにもブリトニーは相当な時間を費やした
からの記事と詳細 ( 世界でもっとも有名な毒家族:ブリトニー・スピアーズが闘う毒親の血脈(ELLE DIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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