
「コーチの原点」と振り返る出来事がある。
引退から4年後の1973年に中日ドラゴンズの二軍投手コーチとなり、75年のオフ、米フロリダ州で行われた大リーグの教育リーグを視察した。守備練習で飛球の落下地点を見誤る若手選手を見て、「間抜けじゃないか」と言うと、チームのコーチは「ノー、彼はルーキーだから何もできない。来年もこんなプレーをしていたら確かに間抜けかもしれないがね」と反論。選手に手取り足取り教え始めた。
これまで選手にどう接してきたか、我が身を振り返った。ミスをすれば怒ることは珍しくなかった。だが、そんな指導では選手は育たない。ベースボールの母国で、辛抱強く見守ること、丁寧に教えることを心に深く刻んだ。
81年から3年間、中日で一軍投手コーチとなり、リーグ優勝を味わった。近鉄バファローズ(現オリックス)や福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)などでもコーチを務め、選手の才能を伸ばし、実力を発揮できていない選手には、適材適所の配置を行った。
様々な監督に仕えてきたコーチ時代の経験から、頭の中には反面教師にするべき言動を集めた<べからず集>がある。98年に初めて監督に就任した横浜ベイスターズ(現DeNA)で、それを実践した。用件がある時は監督室に呼びつけず、自ら選手やコーチの元に出向いた。二軍降格を選手に言い渡す際も、コーチからではなく自身の口で理由とともに伝えた。
シーズン中、先発投手は長い回を投げさせず、中継ぎ投手は数人でローテーションを組んだ。監督の下で3年間、ヘッドコーチを務めた山下大輔さん(68)は「自身の経験もあったと思うが、チームが勝つことだけに走らず、投手の疲労がたまらないような使い方を1年間ずっと考え、戦っていた」と証言する。
「他の人と同じことをやるなら、監督は誰がやったって変わりはしない。だから、人のやらないことをやろうと思っていた」。リーグ優勝から38年も離れていたチームを、就任1年目で日本一まで導いた。
=2020年9月8日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=
からの記事と詳細 ( [道あり]元中日ドラゴンズ 権藤博さん<4>選手に寄り添い日本一 - 読売新聞 )
https://ift.tt/3y5kH2d
確かに
No comments:
Post a Comment