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Monday, November 16, 2020

なぜアルメニアが負けたのか。ロシアはなぜ同盟国に援助しなかったのか: ナゴルノ=カラバフ紛争(今井佐緒里) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

ナゴルノ=カラバフ紛争が、終了した。実質上、アルメニアの敗北、アゼルバイジャンの勝利で終わった。

ナゴルノ=カラバフとは、アゼルバイジャン領内にありながら、多数派のアルメニア人勢力が実効支配する土地だ。戦闘は9月27日から44日間続いた。

アゼルバイジャンとアルメニアの停戦合意に基づいて、16日までにロシア軍の平和維持部隊が現地に展開、双方の攻撃は完全に停止したという。

ここで、情勢を追ってきた人は「???」と思う人が多いのではないだろうか。

よく日本語では、「アルメニアとロシア」 VS 「アゼルバイジャンとトルコ」という対立だと説明されてきた。前者はキリスト正教会、後者はイスラム教という対立軸がある。

どうしてアルメニアが負けたのだろうか。アルメニアの味方であるはずのロシアはなぜ介入しなかったのか。

アゼルバイジャンはロシアの敵ではない

当初からこの問題の難しさは、確かにアルメニアはロシアの同盟国だが、アゼルバイジャンは決してロシアの敵ではなかったことにあった。

単純にキリスト教とイスラム教の争いと見てとると、大勢を見誤るだろう。かつてソ連は、世界を二分した片方の雄であった。旧ソ連の国々は、単純には語れない崩壊後の歴史をもっている。

以下、フランスの「Courrier International」の解説を、わかりやすい言葉にして紹介したい

ロシアは、同盟国であるアルメニアに軍を送って、助けようとはしなかった。それは、両国ともロシアにとって重要だったからだ。

アゼルバイジャンは確かに、イスラム教の国だ。しかし、ロシアを敵視したことがなく、国際舞台で反ロシアのレトリックを実践する政府を持ったこともない。首都バクーはロシアとの決別を誇張したことはないし、ロシアからの解放を最大の問題にしたこともないし、ロシアとの別離に成功したことを誇りに思ったこともない。

これらの点は、ロシアに敵対的だったグルジア、ウクライナ、モルドバのような他の旧ソビエト共和国とは異なるのだ。

ソ連が崩壊した後、新国家の建設は、反ロシアではなく、ごく自然に行われた。アゼルバイジャンの反植民地主義的な言説は常に穏健であり、アゼルバイジャンの人々とロシア人、そして帝国の他の人々との200年以上に及ぶ共存の良い面と悪い面を認めてきた。そして、すべての悪事がロシアのせいにされたことはない。

ソ連は第二次世界大戦で、アメリカやイギリス等の連合国側で戦った。ロシアに敵対的な他の旧ソ連の国々のように、このことに対して別の解釈をすることなく、大戦の英雄をたたえ、大戦勝利のお祝いをする。これらの行為は、プーチン大統領にとって不可欠なのだ。

とはいっても、独立アゼルバイジャン国家の樹立と、旧ソビエト共和国からの解放と正当化は、急速に進んだ。レーニンの記念碑やソビエトの指導者の名前がついた通りが消滅して、もうかなり長い時間が経つ。

他の共和国ではモスクワに対して敵対的な方向に転じて、遅まきながら仰々しく反乱を起こした脱共産化の過程は、アゼルバイジャンでは冷静に行われていたのだ。冷戦崩壊の90年代、同地に住んでいた3分の2のロシア人は、すぐに同地を去ったという。

アルメニア側の問題

さて、一方のアルメニアについて。

アルメニアのパシニャン首相はフェイスブックで、今回の調印は「信じられないほどの苦痛」だったとしながらも、アゼルバイジャンの前線の進展に直面して必要な決定だったとし、軍部からも要求されていたと述べた。「これは我々にとって大失敗であり、大惨事だ」という。

もともとロシアとアルメニアは国防条約で結ばれているが、ロシアは過去にナゴルノ・カラバフには範囲が及ばないと主張していた。

パシニャン・アルメニア首相は、戦闘がアルメニア国境に近づいていると主張し、トルコがアゼルバイジャンを支援していると再び非難していた。そして、ロシアとの良好な関係と、1997年から結ばれた友好・協力・相互扶助条約を引き合いに出して、モスクワのプーチン大統領に助けを求めたという

「France24」に掲載されたAFPの記事によると、この合意が必要だったのは、「攻撃はますます激しくなっており、アルメニアには対処する人的・物的資源が不足していたからだ」という。国は「最悪の事態を待つよりも、ひざまづいて、この協定に署名することを好んだ」と、フランスのSciencePoの教授で研究者であるGaidz Minassian氏は述べた。

合意が発表された直後、数千人の怒りに満ちたアルメニア人のデモ隊が、政府本部の外に集まった。2018年に民衆の反乱によって政権に就いたパキニアン首相に対して「売国奴」「辞任」と叫んだ。数百人が敷地内に入り、窓を叩き割り、事務所を荒らした。国会議事堂の内部も同じ運命を辿ったという。

EUのほうを向いていた事も

アルメニアは、ロシアとのつながりが深く、2015年に発足したロシアとのユーラシア経済連合にも加盟している。これは大きく言えば、欧州連合(EU)に対抗する組織と思っていいだろう。

しかし、アルメニアは当初、これから発足しようというロシアとの連合ではなくて、EUと加盟候補の交渉をしていたのだ。リトアニアの首都ヴィリニュスで、連合協定・自由貿易協定に向けて交渉をしているところだったのだ。

この協定は、将来EUの加盟国候補になることが前提となっている。ウクライナは、この協定をEUと結んだことがもとで、クリミア併合問題と、ロシアの介入を招いた。

当時、サルキシアン・アルメニア大統領は、突然にEUではなくロシアとの交渉に切り替えたことで、欧州を驚かせた。

この乱暴な方向転換は、安全保障のためだと言われていた。アルメニアは、アゼルバイジャンやトルコのような敵対国に囲まれている。ナゴルノ=カラバフ戦争のため、彼らの関係は当時から凍り付いていた。ロシア軍がアルメニアに駐屯していることは、必要不可欠だったからだ。

しかし当時、ロシアとの同盟に加盟することは、強い反対の声があがっていた。

ロシアの経済同盟に加盟した今は、昔からのロシアの良きパートナーであるように見えるが、常にロシアべったりというわけでもなかった。今回の措置が、アルメニアでどのような対ロシア感情を引き起こすのか、注目に価する。

また、停戦の経緯の分析には、シリアから送られていたというイスラム過激主義者の動向も、見るべきポイントになるだろう。

今回は、アゼルバイジャンとトルコの事実上の勝利という形で終わった。

しかし、今回の停戦合意は自治州の帰属問題には全く触れておらず、本質的な紛争解決は先送りされているという。

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November 17, 2020 at 09:20AM
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