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Wednesday, June 10, 2020

大好きな初代林家三平さん 生家でできた恐れ多くもうれしい"縁" - 西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(81)

 2012年6月の第4回佐世保かっちぇて落語会。このときに初めて、林家正蔵さんに出演してもらいました。言わずもがな、正蔵さんは昭和の爆笑王・初代林家三平さんの長男。こぶ平時代にはタレントとしても活躍し、1988年に真打ちに昇進。2005年、落語界の大名跡である正蔵を継ぎました。

 私は子どもの頃から「どうもすいません」のギャグで有名な三平さんの大ファン。テレビで三平さんを見ているときは、複雑な家庭環境ゆえの悲しみを忘れて大笑いしていました。「テレビの世界にはこんな楽しい人がいるんだ!」と驚きながら。正蔵さんは父上のような強烈なキャラとは違いますが、周囲を明るくする雰囲気は同じです。実力もトップクラス。人柄も良く、さすが落語協会副会長。その正蔵さんが佐世保に来る橋渡しをしてくれたのは柳家喜多八さんでした。

 軽井沢の信州ずくだせ落語会に喜多八さんが出演したときのこと。わが家で開いた打ち上げの席で、気持ちよく酔っていた喜多八さんに「正蔵さんを紹介してもらえませんか」と頼んだところ「きゃつ(彼)はスターだからなあ」と、難しそうな反応でした。

 数日後、正蔵さんから電話がありました。「喜多八兄(あに)さんから聞きました。出演の件、承知しました」と快諾していただきました。年は違えど、噺家(はなしか)としてのキャリアは同じだから立場は対等なのに、正蔵さんは喜多八さんを「兄(あに)さん」と呼んで慕っていたのです。

 正蔵さんに直接ごあいさつするために、東京の「ねぎし三平堂」を妻と訪ねました。佐世保に本物の落語文化を広めることや、教育の一環として子どもたちに落語を教えていることなど「かっちぇて」の趣旨を伝えるためです。

 三平堂は初代林家三平さんの生家で、ゆかりの資料を集めた記念館。落語会も行われています。高座を終えた正蔵さんは、わざわざ自宅に招いてくれて、ビールを飲みながら和やかなひとときを過ごしました。

 帰るとき、広い玄関のやや左でデザートブーツのひもを結んでいると、正蔵さんが言いました。「よくそこに座って靴を履いてたんですよ、おやじも」。あの三平さんが⁈ 思わず尻が5センチほど浮きましたね。恐れ多くもうれしくて。これがほんとの、お尻合い。

 佐世保での「喜多八・正蔵二人会」は大盛況のうちに終わりました。夜の打ち上げも楽しかったなあ。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年09月21日時点のものです

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