清原頼業(きよはらのよりなり)は学問で有名な清原氏の出身であり、明経道(みょうぎょうどう)に通じ、自身も平安時代後期の優秀な漢学・儒学者でした。仁安元(1166)年から大外記(だいげき)の職を長年務め、晩年は高倉天皇の侍読となり、時の関白・九条兼実とも親しく「吐和漢才、?敢比肩、誠是国之大器、道之棟梁也」と推された人です。その頼業が文治5(1189)年に亡くなり、清原家の領地であった地に頼業を祭神として祀(まつ)り、廟(びょう)を設けたことに始まる神社です。
「車折(くるまざき)」の由来については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通ったときに突然、車軸が折れたからだといわれる。また、後嵯峨天皇が大堰川(おおいがわ)遊幸(ゆうこう)のさい、社前で突然、牛車が前に進まなくなったのを不思議に思って問われると、「頼業公を祀る社があるため」との答えがあったため、還御(かんぎょ)後に「車折大明神」の神号と「正一位」の神階(しんかい)(神社の祭神に奉った位階)を賜ったため、ともいわれる。
この本殿前には、文字が書かれた小丸石がうずたかく山積みにされています。これは「車前石(くるまいし)」といわれる神石群であり、社で小丸石に願いを懸けて家に持ち帰り、神棚に祀って後日、願いがかなったら、さらにお礼を書き記した小丸石を添えて、神前に奉納するという、庶民ならではの奇妙な風習なのです。
この車前石の風習由来には諸説があります。社は地獄冥府の官人が来臨するところとして、売買契約に違約のないことを祈誓(きせい)し、そのことを小丸石に記したという説です。また清原頼業の名を借りて、「頼」と「業」を、お金の「寄り」と商売の「成り」にかけたしゃれっ気とした説です。学問の神様ならではの知識と、庶民商売の見識を垣間見ることができる丸石信仰のひとつです。
(地域歴史民俗考古研究所所長・辻尾榮市)
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February 25, 2020 at 12:00PM
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【石仏は語る】奇妙な風習 丸石信仰 車折神社車前石 京都市右京区 - 産経ニュース
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